Let’s note以前~憧れのころ
1997年にSONYのVAIOノート505が登場してから一躍メジャーになった小型ノートパソコン…いわゆるサブノートの市場ですが、松下電器はVAIOのずっと前からこのクラスのパソコンを作っていました。学生の頃に研究室の先生からPanasonicのPRONOTE miniというパソコンを借りたことがありますが、この機械はA5サイズを一回り大きくしたサイズ(横幅B5、奥行きA5だそうです)、重さ1.2kg台の本体でWindows 95が十分に動く機械でした。そういえばこのPRONOTE miniもトラックボールを装備したノートパソコンでしたね。それが今に繋がっているのかどうかはわかりませんけど。
PRONOTE mini (CF-11FS32/52) | |
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登場時期 | 1995年11月 |
CPU | 486DX4(75MHz) |
HDD | 340MB/540MB |
RAM | 8MB(最大24MB) |
画面 | 7.8インチDSTN液晶 640*480 |
バッテリー駆動 | 1.7~3.4時間 |
外形 | 259 * 162 * 36.4mm, 1.29kg |
その松下電器が次に作ったのがLet’s note。大型のノートパソコンと比べても高級な部類に入るような機能をB5サイズに詰め込んだ、とんでもない装備のパソコンでした。主なスペックはこんな感じでした。
初代Let’s note (AL-N1T512J5) | |
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登場時期 | 1996年6月 |
CPU | Pentium(120MHz) |
HDD | 810MB |
RAM | 16MB(最大32MB) |
画面 | 10.4インチTFT液晶 800*600 |
バッテリー駆動 | 3~6時間 |
外形 | 255 * 192 * 41mm, 1.62kg(バッテリー2個搭載時) |
CPUやハードディスクなどはさすがに時代を感じさせますが、パッケージングは今もほとんど変わっていませんね。私はこれが欲しくて仕方なかったんですが、当時は貧乏学生、高価なノートパソコンはとうてい買えませんでした。
昔からLet’s noteは頻繁にマイナーチェンジが繰り返される機械でした。おそらく「一定数作った分が売れたらそのときの最先端のスペックでマイナーチェンジする」ということだったのではないかと推測していますが、CPUとHDD容量だけが変更された機械が何タイプも存在します。そういうわけで社会人になってからも購入のタイミングを掴みかねて時が過ぎていきました。
ついに我が手にLet’s note
私が初めてLet’s noteを(というよりノートパソコンを)手に入れたのが1998年の夏。ボーナスを注ぎ込んで購入したのが、Let’s note3代目に当たるCF-S21J5でした。私としては、3年越しの恋が実り嬉しくて仕方ありませんでした。
CF-S21はこんな機械でした。
Let’s note /S21 (CF-S21J5) | |
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登場時期 | 1998年6月 |
CPU | MMX Pentium(200MHz) |
HDD | 3.2GB |
RAM | 96MB(最大96MB) |
画面 | 10.4インチTFT液晶 800*600 |
バッテリー駆動 | 5時間 |
外形 | 255 * 192 * 32.6mm, 1.45kg |
2代目AL-N2シリーズで好評だった光学式トラックボール(初代はタッチパッドだったんです)を引き続き装備、マグネシウム合金の使用により厚さ32.6mmに薄型化されました。さらにUSBポートを含む各種端子をすべて装備。そして何より驚いたのがカタログ値で5時間動作するというバッテリー(実際、3時間半以上余裕で動きます)。というわけで、実はこれまで「ちょっと考えてほしいな」と思ってたところを見事なまでにみんな改善してくれました。
私は、たまたま東京に研修で1週間出かけることになったときに購入を決意。それも、研修所の宿舎に入る前に買いに行き、早めに到着した宿舎でセットアップを行うという暴挙に出ました。そのおかげで、研修の報告書は帰り着く前に全て書き上げてしまうことが出来たのですが。今思うと、買っていきなりモバイル的使用法だったんですね。帰りの電車の中でも使いましたし。
その後、このLet’sくんは私の片腕として大活躍。自宅でも、職場でも、旅行先でも大車輪の活躍を見せてくれました。詳しくは、Weekly SSKでもいろいろなところで書いています。
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