今日・11月29日、槇原敬之の「復帰作」となる新作アルバム、「太陽」が発売されました。何故「復帰作」なのかは私がWeekly SSKで何度か採り上げています。彼は去年覚醒剤所持の容疑で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けています。ちなみに未だ猶予期間中。
前にも書いているとおり、私の音楽世界に彼の与えた影響は非常に大きなものがあります。私としては、単純に彼の作る音楽を聴きたいと言うことだけではなく、逮捕、有罪判決、そして1年弱の休業(謹慎と言っても良いのでしょうか?)という中で、彼が一体どんなことを考えていたのか、それを知りたくてこのアルバムを購入しました。同年代でもありますしね。それにしても、こんな気持ちでCDを購入したのは生まれて初めてです。
ジャケットは店頭で見ていただきたいんですが、真っ青な空に真っ赤な太陽をイメージしたイラスト…と言うよりマークという非常にシンプルなもの。中に入っている歌詞カードも、最初と最後のページに彼の写真こそ一応あるものの、残りのページは白い地に黒い文字で歌詞が書かれているだけ。飾り付けは極力廃したパッケージに、中身である曲に賭ける心意気の強さを感じました。
さて、その曲の方なんですが、個々の曲についてここでコメントしても、皆さんに実際に聴いてもらうまでは伝わらないと思うので、ここでは全体としての私の感想を述べたいと思います。短く述べるなら、「何も変わっていない。でも、確かに変わった」ということでしょうか。
…と、こんな禅問答みたいなことを書いても意味不明なので改めて説明しますが、暖かく包み込むような音、時には意表を突くアレンジ、そして生活感の溢れる歌詞など、これまでの彼の曲が持っていたものはみんなそこにあります。そう言う意味ではほっとして、嬉しかったですね。
ただ、これまでの彼の曲にはあまりなかったような激しい言葉で綴られた曲がいくつかあります。そして、その激しい言葉が向けられている矛先は彼自身。この1年間、彼がどのような気持ちで過ごしてきたのか、その一端が歌詞に現れているような気がしました。実は、今回珍しく最初に歌詞カードを読んでしまい(いつもはまず曲を聴きます)、こんな歌詞からどんな曲が流れてくるのか怖くて、CDをプレイヤーに載せるのを少し躊躇ってしまったほどでした。結局彼の得た結論は「彼自身の思っているありのままを表現する」という事だったのかも知れません。私の曲解かも知れませんが。
楽曲としての質、そしてヴォーカルの質は相変わらず高いものです。効果的に裏声を使った存在感のある声と唱法は健在です。試しに逮捕直前の彼の作品とちょっと聴き比べてみると、違いは歴然としていました。当時の彼の声には伸びがなく、何だか疲れているような感じを受けました。クスリとの因果関係があるのかどうかはわかりませんが。
余談ですが、アルバム中に1コーラス丸ごとヴォーカルにLo-Fiエフェクタ(電話や古いラジオみたいな低音質になります)を通したようなアレンジの曲がありました。よりによって彼のあの声にそんな効果をかけるのはもったいない…と思ったのは私だけでしょうか。
アルバムを通して聞いてみてもう一つ思ったことがあります。どれも良い曲だと思いますが、もしどれか1曲をシングルカットするとしても、どの曲も売れそうな気がしないんです。いい曲なんだけど、難しい曲が多いような気がします。と言っても、これは「カラオケで歌えない」と言う話ではなくて(もちろん、彼の曲の中には歌唱技術としても超絶的な技巧を要求するものがあります)、根底に流れる世界があまりに深すぎて、軽い気持ちでは聴けないかな?と感じてしまったわけです。
まあ、今回のアルバムは彼のこの1年間の気持ちを整理し、私たちファンに復帰の挨拶をするという意味も持つ特別なものだったのでしょうから、まずは「お帰りなさい」と言ってあげたい気持ちです。彼の真価が問われるのはまだまだこれからでしょうね。
彼のこの「新しい一歩」に興味を持った方は、ぜひこのCDを買って聴いて欲しいですね。曲の質の高さは、その売上枚数と決して比例するものではないと思いますが、やはりプロである以上、商業的に成功しなくては続けていくことは出来ません。そのために私たちに出来ることは、CDやコンサートチケットを購入することくらいしかありませんよね。
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