先週末に続いて2週連続のWeekend SSK。今回の目的地は尾瀬沼です。…あれ、前回と何が違うの?と言う方、よく見てください。微妙に違います。
先週は、広大な尾瀬の中で最も代表的な地域である尾瀬ヶ原を回りました。今週の目的地・尾瀬沼は、尾瀬ヶ原の東に位置する、その名の通り大きな沼です。実は、まだ群馬県内への滞在が続いているんですよね。しばらくはこちらにいるので、今後もいろいろな場所に出かける予定です。
「尾瀬ってどこ?」と言う方は先週の記事から読んでいただくことにしていきなりルートの話から入りますが、今回も日帰りということで、大清水から三平峠を越えて尾瀬沼に入り、沼をぐるりと一周する19.7km(詳細地図(55.1KB)参照)のコースを設定。これまた先週と同じくらいの距離…と思われる方もあるかも知れませんが、決定的に違うことがあります。それは標高差。
先週のコースは、徒歩出発地点の鳩待峠が一番標高の高い場所(標高1,600m)で、そこから尾瀬ヶ原(標高1,400m)まではひたすら下りになります…考えてみると、最初に下って最後に登って来るという登山コースは珍しいんですが。しかし、今回のスタート地点・大清水は標高1,180m。そこから標高1,762mの三平峠を越えて標高1,665mの尾瀬沼に入りますから、いわゆる普通の山登りで、しかも標高差は600m近いことになります。実は、地図を見ていただくと分かるとおり、尾瀬沼には福島県側の沼山峠から入った方がずっと楽なんですが、今度は車での移動距離がとんでもないことになってしまいますので、今回はこの少々ハードなルートを選択。考えてみると、これって大雪山に登ったときよりも過酷です。
大清水までは、国道401号を経由し自家用車で直接乗り入れることが出来ます(冬季は通行止)。ですから、必要なのは駐車場の料金(1日500円)だけ。経済的ではあるんですが、安くついた分は結局自分で歩かなくてはならないんですよね。
それにしても、先週すぐ近くに行ったばかりなのにどうしてもう一度?という声もあるかと思いますが、決定的に前回と違うことが2つあります。それは、尾瀬沼の方が200m以上標高が高いこと、そして前回から1週間という時間が過ぎたこと。その結果起こるのがこの紅葉です。先週はほとんど沿道の木々は緑色をしていたんですが、今回は道のすぐ脇でも赤や黄色に色づいた木々を見ることが出来ました。長いルートでも飽きは来ませんでしたね。
ところで、先週のルートはそのほとんどで木道が綺麗に整備されていましたが、今週のルートは一ノ瀬休憩所までは林道を歩き、尾瀬沼まではところどころに木道や階段こそありますが基本的に普通の山道です。地面がぬかるんでいたり、時にはこんなちょっとした岩場もあります。そういう点ではちょっとだけ上級者向けの、心してかからなくてはならないルートかも知れません。
尾瀬沼周辺は、真っ青な空が広がる絶好の行楽日和でした。尾瀬の中央にそびえる2,300m超の燧ヶ岳(ひうちがたけ)も、その姿を見るのは1週間ぶりと言うことになりますが、見ている方位が違いますからその山容は少し違って見えます。ところで、「燧ヶ岳」という山頂があるわけではなく、実際には柴安ぐら(しばやすぐら;「ぐら」は「山」の下に「品」を書きます)や俎ぐら(まないたぐら)など複数のピークを持つ火山の総称です。近辺の山では、赤城山や榛名山もそういう山ですね。そういえば大雪山もそう。
尾瀬沼周辺では、ひたすら大湿原が広がる尾瀬ヶ原とは違った多彩な風景を見ることが出来ました。この写真のように植物が沼に入り込んでいる様子もよく見られます。植物は枯れても腐敗しきれずに沼底に堆積して、沼は湿地化していきます。数千年の間には、尾瀬沼も尾瀬ヶ原のような湿地帯になることも考えられるそうです。変わっていく自然、しかし人間は自然を「現状のままに」留めようとする…自然環境をどう捉えるべきなのかはいろいろな意見もあると思いますが、「自然のまま」で変化していくものは受け入れていくべきなのかな?と思います。他にもいろいろ写真を撮ってきました。Photo Worldにもお立ち寄りください。
ところで、尾瀬沼周辺は登山道と同じく木道などの整備が行き届いていない場所が所々見られるんですが、そうしたところで道から外れて踏み込んだ跡が見られます。こういう場所を見ると、写真を撮るにはちょうど良さそうな場所が多いような気がします。カメラを持って「ちょっとならいいか」と思って踏み込むのかな?と思いますが、どうして尾瀬ではこれだけ木道が整備されたのかを考えれば、その「ちょっと」でも気にして欲しいところです。昔から言い古された言葉があります。「とっていいのは写真だけ、残していいのは足跡だけ」…いいえ、尾瀬では足跡すら残してはいけないんです。
もう一つ、今回驚いたのは、群馬県側の大清水から尾瀬沼のほとりを通って福島県側の沼山峠まで自動車道路を開通させる計画があったこと。元々このルートは「沼田街道」と呼ばれ、交易路として発達していたので、当然と言えば当然の計画だったんですが。尾瀬の自然を守るため、昭和46年に計画は中止されました。もしこの計画が実現されていたら、尾瀬の姿はどんな風になっていたんでしょう?…考えると怖いです。尾瀬沼の脇に巨大な駐車場が整備され、水芭蕉の頃には大渋滞になっていたんでしょうか。
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