まずは昨日の結果報告から。名古屋で鰻と言えばやっぱり「ひつまぶし」ですよね。平たく言えば鰻丼のバリエーションなんですが、お櫃から取った鰻飯をまずはそのまま食べ、次は薬味を載せ、最後にはお茶漬けにして食べてしまう…という、何とも贅沢な気分を楽しめる料理です。もちろん、ちゃんと食べてきましたよ。一食で3度楽しい食事でした。ただ、お金も3食分近くかかってますけどね。
東京都内の東名高速道路で、1999年に乗用車が飲酒運転のトラックに追突されて炎上し、閉じこめられた小さな女の子二人が焼死した事故で、両親が元運転手と運送会社などに対して損害賠償を求めていた民事訴訟の判決が24日に下りました。この事故については、先に刑事裁判で元運転手が業務上過失致死罪で懲役4年の刑を受けましたが、その後被害者の両親が悪質な交通事故の再発防止を訴えて運動を続け、飲酒運転や故意の信号無視など悪質な事故の加害者に対して最大15年の懲役刑を科すことのできる「危険運転致死傷罪」が創設された…という経緯があります。
判決は、両親の訴えを全面的に認めるもので、総計約2億5,000万円の損害賠償が命じられました。特徴的なのは、賠償の一部は、亡くなった二人が生きていれば18歳になる年から15年間、毎年の命日にひとり当たり270万円ずつ分割して支払われることです。この「分割払い賠償」は、両親が「一生をかけて償う気持ちを持ち続けてほしい」として求めていたもので、こうした部分まで全て両親の訴え通り…となったわけです。
道路交通法違反となる行為にもいろいろとありますが、人間の正常な判断能力を麻痺させて、車を「走る凶器」に変貌させる飲酒運転は、もっとも重大で悪質なものでしょう。だからこそ、「検挙即免許取り消し」というもっとも重い処分を科す違反行為として規定されています。
しかも、飲酒運転には「うっかり」の違反はあり得ません。運転することの危険性が自他共に十分理解できる状態で、なおかつハンドルを握るというのが飲酒運転ですから、強固な意志を持てば決して起こりえない違反であり、同時に「違反しよう」という明確な意志なしには犯せない違反です。そう考えれば、飲酒運転で死亡事故を起こした加害者は決して許されるものではなく、この判決は被害者側の感情にも最大限に配慮して出された英断であったと言えるのでしょう。
ただ、私にはちょっと気になることがあります。この判決通りになれば、10年後くらいから命日ごとの賠償金支払いが始まり、それが15年間続きます。このことが、加害者の元運転手に、忘れかけた頃に「一生かけての償い」を意識させることは確かでしょう。しかし、これは被害者の両親の側から見ても同じことだと思うんですよね。
事故の加害者も被害者も、そうである以前に一人ひとりの人間であり、それぞれの人生を人間らしく生きる権利があるはずです。事故によって生まれた苦しみ、悲しみ、憎しみといった気持ちは、時間の経過により癒されて、そのおかげで立ち直れる面もあると思います。しかし、10年ぶりの賠償開始が、そうした決して前向きとは言えない気持ちを双方によみがえらせてしまい、どちらにもマイナスに働きそうな気がしてなりません。
まもなく、母が亡くなってから一年が経ちます。私の場合は、その後いろいろな出来事が立て続けに起こった…というよりも自分から出来事を起こしたおかげで、ずっと悲しんでいることもなく、意外に早くこれまで通りの生活に戻れたような気がします。別に母のことを忘れたかったということではなく、生きている以上はやっぱり自分自身のことを大事にしてあげなくてはいけませんよね。そんな気持ちは取り戻せた気がします。
もちろん、長い間病気と闘い続けた母と、理不尽な交通事故で命を奪われた幼い娘たちではその悲しみの質は全く違うのでしょうけど、身近な人の死にどうやって向き合っていけばいいのか…そんなことまで考えさせられたニュースでした。
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