今日は、母の一年祭と精霊祭を兼ねた祭事を行います。それぞれ、いわゆる一周忌とお盆に当たるものになります。浜松では初盆はかなり盛大に行われるのが普通ですが、私たちは親族だけ招いてこぢんまりとした式を行うことにしました。心配だった台風も通り過ぎてすっかりいい天気です。
この一年を振り返ってみると結構いろいろなことがあり、住居もライフスタイルもすっかり変わったんですが、その割には私自身の心境にはあまり変化がなかったような気がします。言い換えればあまり成長は出来なかったということ。去年の年末から気になっていたんですが、もっともっといろいろなことが出来たんじゃないかな?と、正直なところ不満です。もっと前に、もっと先に進まなきゃ…気持ちばかり焦ります。
NECから「PC-9800シリーズの受注を今年9月30日で終了する」との発表がありました。初代PC-9801が発売されたのは1982年10月13日。日本のパソコン史を語る上で欠かせない存在である国民機・キューハチは、21歳の誕生日を前にして静かにその歴史の幕を閉じます。
今とは違い、各メーカーが独自規格のパソコンを発売し自社製品のシェアを競っていた中、16ビット時代の覇権を握ったのがキューハチでした。16ビットパソコンの中には、シャープのX68000や富士通のFM TOWNSなど、エンターテイメント志向の強い、現在のパソコンのイメージに近いものもありましたが、キューハチはビジネス機としての利便性に焦点を当てたマーケティングで売り上げを伸ばし、気が付けば国内のパソコンシェアをほぼ独占していました。パソコンは一家で何台も買えるものではありませんでしたから、我が家の一台として選ばれるときに決め手になったのは「仕事に使えるもの」だったんですね。
その後、DOS/Vの登場、Windowsの普及とパソコン市場にグローバル化の荒波が押し寄せる中、孤軍奮闘を続けてきたキューハチでしたが、1997年には「国際標準仕様」の(いわゆる「AT互換機」ではないことに注意)PC-98NXシリーズが登場し、キューハチはその後表舞台から退くことになります。個人ユーザーからすると未だに作られていたことが不思議なくらいですが、企業向けにはPC-9800シリーズ用に作られていた特殊なソフトウェア及びハードウェアの資産を生かすという目的があったわけです。これは非常に良く理解できますね。私の職場でもキューハチどころかハチハチ(PC-8800シリーズ)が現役で働いているくらいですから。
私自身にとっても、キューハチへの想いは強いものがあります。初めて手に入れたパソコンもキューハチでしたし、2台目もそうでした。それ以前の、友達の家に入り浸っては使わせてもらっていた頃から考えれば10年以上のお付き合いがありました。あまりにも使い古された表現ですが、一つの時代が終わるという感慨があります。
キューハチと共に、この9月でひっそりと生産終了を迎える、しかも同い年の超大物がいます。それはファミコン。京都で花札や百人一首、トランプなどのカードゲームを作っていた任天堂が、家庭用テレビゲーム機のファミリーコンピュータを発売したのは1983年7月15日。その後の大ヒット、家庭用ゲーム機市場の劇的な成長については今さら説明するまでもありませんが、こちらは20歳の誕生日を迎えたばかりです。
今や家庭用ゲーム機は日本の世界に誇るテクノロジとなりましたが、そんな中で最新鋭機と比べると性能の圧倒的に劣るファミコンはずっと生産され続け、しかもそこそこに売れていた(2002年度で約6万台だそうです)のだそうです。これにはさすがに驚きました。ファミコンと共に育った世代のノスタルジーだけではこれだけたくさん売れないはずです。
私自身にも、ファミコンの思い出は多いですね。ファミコン時代のゲームと現在のゲームを比べると、私はむしろファミコンの頃の方がおもしろかったような気がします。単に私が老けただけなのかも知れませんが、一つ言えるのは昔のゲームの方が単純な画面や音の中で想像力を働かせる余地があったということ。最新のゲーム機は表現力の面で格段に進歩し、現実世界と見まがうばかりの体験をさせてくれますが、そのことが私たちから想像力を働かせるチャンスを奪っているような気がします。「おもしろい」というのは、実は結構頭を使っている状況を指す言葉だと思うんですよね。
余談ですが、ファミコン全盛期に「16連射の高橋名人」として名を馳せた高橋利幸氏は私と同じ5月23日生まれ。誕生日が同じだと言うだけで親近感が湧いてきてしまうから不思議です。高橋氏は私よりもかなり年上の44歳ですが、今でも当時と同じゲーム制作会社のハドソンで営業の仕事をされているそうですね。
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