今春の全国選抜高校野球大会の入場行進曲に、「世界に一つだけの花」が決まったそうですね。曲自体の持つイメージはもちろん、セールス、知名度など、どこから見ても文句なしの選曲でしょう。ただ、そのままでも結構歩きやすそうな感じで、アレンジとしてはあまりおもしろみがない曲だと思いますが。
SMAPの曲が選ばれたのは9年ぶり2回目(詳しくはこちらも見てみましょう)になります。持ち歌が2回以上選ばれた歌手というのはそれほど多くなく、2度選ばれているのは「世界の国からこんにちは」が2度(1967年、1970年)使われている三波春夫と、1976年(「センチメンタル」)と1983年(「聖母たちのララバイ」)の2曲が選ばれている岩崎宏美。ちなみに1986年には岩崎良美の曲(「青春」)が選ばれているので、岩崎姉妹は揃って選ばれるという快挙を成し遂げています。
そして、3度以上となると坂本九(1962年「上を向いて歩こう」、1965年「幸せなら手をたたこう」、1966年「ともだち」)ただひとりしかいません。一昨年の「明日があるさ」も本歌の歌手として入れるなら4度になりますね。センバツの行進曲に選ばれるのは、その一年を代表するような曲。そんな曲を数多く歌った彼は、まさに「国民的歌手」と呼ぶにふさわしい人だったわけです。
その坂本九が飛行機の墜落事故で1985年に亡くなってからもうすぐ20年になるわけですが、去年は彼の歌声が思わぬ形で再び世に流れることになりました。平井堅のカバーアルバム「Ken’s Bar」に収録された「見上げてごらん夜の星を」のことです。この曲だけでも実に多くの人がカバーしているわけですが、今回の企画はひと味違います。何しろ、平井堅が坂本九本人とデュエットしてしまったんですから。
もちろん、故人をスタジオに連れてきて歌ってもらうわけにはいきませんから、この企画は最先端の録音技術を駆使して作られました。40年前に発売された原曲についてはミックスダウンされた音源しか残っていないため、ヴォーカル部分だけをデジタル処理で抽出して使っているのだそうです。ものすごく大雑把に言えば、普通のヴォーカル入り音源からヴォーカル部分だけを消す「カラオケ機能」の逆の処理ですよね。録音だけでなくビデオクリップでも二人は「共演」を果たし、去年の紅白歌合戦でも映像を活用してデュエットでこの曲を聴かせました。まさにデジタル時代ならではの展開です。
実際に曲を聴いてみると、良くデキた演奏だとは思うんですがどこか違和感を感じます。音源の古さやデジタル処理による音質の差は仕方がないところですが、問題はおそらくそういうところではなくて、やはり二人のヴォーカルの呼吸が微妙に合っていないからではないかな?と思います。平井堅は十分に上手く歌っていると思うんですが、少なくとも坂本九は平井堅とデュエットするつもりで歌っているわけではありませんよね。人と人とが演奏を合わせるときにはお互いの心が通い合うのが大事…ということは私自身も実感していますが、この点でこの企画にはどうしても乗り越えられない壁があります。
この企画については、巷でも賛否両論が巻き起こりましたが、私は平井堅の普通のカバー曲として仕上げた方が良かったような気がしましたね。去年のセンバツ行進曲にもなった「大きな古時計」を例に出すまでもなく、彼はもともとひとりでも独自の世界を構築できるだけの力を持っていると思いますし。
この「見上げてごらん夜の星を」に限らず、アーティストの没後に彼らのパフォーマンスの音源を使って新しい作品が世に出ることは結構多いですよね。音声や映像を記録する技術の進歩で、こうしたことが当たり前のように行われるようになりました。
去年は、ザ・ビートルズの「Let It Be… Naked」も大きな話題になりました。解散してしまったせいで彼らの意図したとおりのものにならなかったアルバム「Let It Be」を、本来彼らの作りたかった形にリミックスした…ということで、メンバー以外の音がほとんど入らないシンプルな音を聴くことができます。ただ、すでにメンバーのうち二人が世を去っている今、本当にこれが正解なのか?という疑問は消えません。
そういえば、この作品の場合「どうして日本版はコピーコントロールCDなんだ?」ということも話題になりました。裏を返すと、私たちの著作権に対するモラルのなさを警戒されているのでしょうけど、この作品の場合は欲しい人なら借りるだけでなくCDを買う…という需要があると思うので、コピーコントロールは不要だったような気がしますね。厳密に言えば音質上の問題もありますし、だいたいコピーコントロールされていない輸入盤だって国内で購入できるわけですから。
日本のアーティストでは尾崎豊と元X JAPANのhideに関する動きがおもしろいですよね。この二人は、決してもともと知名度がなかったわけではないと思いますが、亡くなってから発表された作品でその評価を上げたアーティストだと思います。尾崎豊は今年十三回忌、hideは今年七回忌で、それぞれ記念の企画があるようです。ロックアーティストである彼らでも、偲ばれ方は仏教ベースになっている…というのはなんだか笑っちゃいますが。
故人の曲を後の人たちがカバーするトリビュート作品は好きなんですが、故人の音源自体をベースにして新たな作品を作ることはどうも好きになれません。あの豪華な「Let It Be」のサウンドが生まれたのも歴史の生んだ一つの結末でしょうし、「未公開音源」が公開されなかったのにも相応の理由があるはずです。もし坂本九が平井堅から「あなたの曲を私と一緒にレコーディングさせてください」と頼まれたら、果たして何と答えたでしょうか…おそらく悪い気分ではなかったでしょうけど、回答そのものは結構微妙な問題だと思いませんか?
音楽界に限らず、こうして没後に大きく取り上げられる人たちを見ていくと、まだまだ活躍できるときに亡くなった方が多いですよね。もっと彼らの活躍を見てみたかった…という思いが、最新技術に乗せられて少々暴走していることもあるのではないでしょうか。こうしたものはある程度のセールスが期待できますし、見たことのないものを見てみたいと言う好奇心も理解できます。それでも、「過ぎたるは及ばざるがごとし」とも言いますし、夢を実現したつもりが逆に夢を壊してしまうことはないようにしてほしいものです。
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