今日は2月の第5日曜日。5回目の定期更新日です。考えてみると、普段の2月は28日しかなく「第5●曜日」が存在しないわけですから、実はとっても珍しいことなんですよね。カレンダーで調べてみると、次に2月29日が日曜日になるのは2032年。さすがにそのときまでWeekly SSKが続いているとは思えないんですが…いや、どうなるかはわかりませんけどね。
一昨年、去年とベートーヴェンの第九を歌った仲間たちと、この夏も歌います。演奏会が終わるたびに「続けるかどうかわからない」と言いながら、結局また練習に参加しています。やっぱり、根本的に音楽が好きなんでしょうね…それも、多くの人たちの力を合わせて出来上がる音楽が。前からわかっていたことではありますが、一人でやるときとは違った魅力があります。
浜松フロイデ合唱団で第九を歌った人たちが、「年間を通して歌い続けたい」と浜松混声合唱団を立ち上げたのが1984年。今年の夏の演奏会はその「浜混」の20周年記念演奏会になります。去年の第九は「市民の第九」30年記念。こうして節目に巡り会うのも何かの縁かも知れません。
私にとっては4度目の演奏会に臨むことになりますが、今回は初めて日本語詞の付いた歌を歌います。これまでの外国語曲でも、歌詞の意味を考えながら、そこに気持ちを入れていくわけですが、やっぱり日本語の歌詞はダイレクトに心に響いてきます。今年の演目には民謡もあるので、方言で歌われている歌詞がよくわからない部分もありましたが、それでも外国語の歌詞とは全然難易度が違います。歌の根底に流れているのが同じ日本人の心だからなのではないでしょうか。
ただ、日本語だからといって歌うのが簡単なのか?となると、決してそうではありません。丁寧に歌詞を歌っていくと、実は私たちの普段の日本語の発音はずいぶん曖昧だったことに気付かされます。日本語は子音と母音がごく一部を除いて常に対になっている言語ということになっていますが、会話の中では母音のあるべき位置で声帯が震えない無声音で話されていることが結構あるのだそうです。歌うときには、本来無声音であるところでもきっちり声帯を震わせて音にしなくてはなりませんから、これはこれで結構気を遣います。むしろ、普段慣れ親しんだはずの日本語だからこそ却って外国語曲よりも難しくなっているのかも。
第九の時とは違って、演目の中にはほとんどの人が初めて歌う曲があります。各パートの音取り練習のために、自宅でパソコンに楽譜を打ち込んで、パート練習用のCDを焼きました。最近では、楽譜をスキャナで読み込むとMIDIデータに変換してくれるという優れもののソフトウェアが売られているんですが、自分で打ち込むのもパートの旋律を覚えるためには非常に役立ちます…って、これは単なるやせ我慢。
昔から、歌詞付きの曲のデータ打ち込みは何度かやったことがあるわけですが、先に自分がちょうど良いと思う速さで楽器演奏を打ち込んでおいてから上に歌を乗せてみると、テンポが速すぎると感じることが非常に多いですね。もっとも、それはメトロノームの数字にすると3から5程度小さくするとちょうど良くなる…という、結構微妙な差ではあります。
これには、歌詞の言葉を発音するのに意外に時間がかかる…という要素があると思うんですが、それだけではないような気がしています。外国語の曲でも自分でデータを打ち込んで歌ってみたことがありますが、速すぎると感じたことはありません。日本語の歌詞だと、意味が簡単にわかってしまうばかりに、歌う側も聴く側もそれを無意識のうちに解釈しようとしているのではないでしょうか。
もちろん、歌詞は単に旋律の上に乗っているだけではなくて、相手にその意味を伝えたい…というものですから、そのためにはこれは必要な過程です。音楽は、音程とリズムが詞と結びついて歌になったとき、人の心を伝える新しい力を得たのだと思っています。その新しい力を十分に発揮できるように、詞を大事にして歌を歌いたいですね。
プロ野球の春季キャンプは先週で事実上終わり、オープン戦が始まりました。キャンプでもいろいろな話題がありましたが、中日ドラゴンズファンの私からすると、新監督・落合博満氏の言動は常に気になりましたね。いろいろな面でこれまでにない型破りのキャンプが行われました。いったいあの人は何を考えているんでしょうか?。そして、どんな結果が待っているんでしょうか?。彼が監督に就任したときの私の期待は、ひたすらふくらむばかりです。
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