先月に続いて、ちょっと歌詞にまつわる話をしてみようと思います。最近ちょっとお気に入りの曲に、一青窈(ひととよう;彼女の名前も知らない人にはまず読めませんね)の「ハナミズキ」があります。ゆったりしたメロディーとちょっと泣かせる歌詞がいい感じ。「君と好きな人が百年続きますように」。誰かの幸せが自分の幸せに感じられる、そんな優しさを私も常に持っていたいものです。彼女も最初出てきたときは「誰かとよく似てるなぁ」と思ったんですが、世に出た作品が増えてくるとともに独自のポジションを築いてきた感じでしょうか。
ただ、この曲を聴いていると毎回引っかかる場所があります。「庭のハナミズキ」という歌詞が、どうしても「にわのは?、なみずき?」と聞こえてしまうんです。最初歌詞に惹かれたばかりにどうしても気になってしまう…というところでしょうか。そして、一度気になり出すと思いこみはなかなかリセットできないものです。旋律だけを聴いていると、別に不自然なところで切れているわけではないと思うのですが。
先月にも触れた話ですが、歌を聴いているときはたいていの場合歌詞を意識して聞いているはずです。普通は歌詞の流れは旋律と同じになるように作られていて、これならすんなりと歌詞が頭に入ってきますが、これが一致していないと一瞬虚をつかれた感じでびっくりします。この「びっくり」がちょっとしたアクセントになる…という効果もあると思いますけどね。
歌詞の流れと旋律の流れを自由自在に分解してしまうアーティストとして、真っ先に思い浮かぶのが宇多田ヒカル。彼女の曲の場合、歌詞が旋律の中で細切れになっている部分が数多く存在しますよね。例えば「Automatic」では「な/なかいめのべ/るでじゅわきをと/ったきみ」。「First Love」でも「さ/いごの/きすはたば/このふれいばーがした」でした。
彼女は海外生活の長いアーティストなので、日本語に関する感覚があまりこなれていないのかな?と思っていたんですが、いろいろな曲を聴いているとそうでもないようで、歌詞を大事にしたフレーズ取りをしている部分もちゃんと存在します。とすると、彼女のあの「歌詞ぶつ切り」は確信犯。おそらく、旋律の流れを優先して歌詞の方ではちょっと無理をしています。仕掛ける「びっくり」の数としてはちょっと多すぎますし。
あと、彼女の場合は歌詞そのものが日本語も英語もごちゃ混ぜにした新しい感覚を持っていますよね。「SAKURAドロップス」の曲名を見て、昔懐かしのあの缶入りのあめ玉を思い浮かべた人も少なからずいたはずですが、もちろんあれのことを歌っているわけではありませんでした。英語の「drop」は「落ちる」ですから、これは「桜、散る」の意味なんですよね。しかも日本語の「桜」はローマ字書き、英語の「drops」はカタカナ書きにしてしまうあたりが彼女の計り知れないセンスなんですが。
ついでと言っては何ですが、あの缶入りのあめ玉に「サクマ式ドロップス」と「サクマドロップス」の2種類があるのはご存じですか?。店頭に並んでいる缶をよく見てみましょう。違う会社が作っている、別々の商品だそうです。
もう一つ、旋律と歌詞の関係で最近よく耳にするのが、一つの音符の中に複数の文字が詰め込まれた歌い方。これは、例えばMr.Childrenの曲を聴くとこれでもかと言うくらい出てきます。ただ、この詰め込み方もかつてのフォークソングのような「とにかく短い中にたくさんの言葉を詰め込んだもの」とはちょっと違います。というのも、詰め込み方に一定のルールがあるんです。
一つずつ見ていくと結構多いのが、「後ろの音が母音のみ」という形。そして、「前後どちらかの音が無声音に近い状態で発音できるもの」というパターンもあります。これらの複合技で、例えば「くらい」の3文字が1音に載ってきたりします。これらの共通点を考えてみると、思い当たったのが英語ならどちらも全体で1音節に数えること。こうした曲を聴いていると洋楽っぽいノリを感じることがありますが、きっと歌詞の載せ方が同じだからではないかな?と思います。
もともと後ろが「ん」だったりするとこの詰め込みは起こっていたんですが、最近は実に多様なパターンでの詰め込みが起こっています。本来の日本語の発音を外しているわけではなく、むしろ流れに自然に乗った結果ですから、最初こそちょっと驚くものの、何度か聴いているうちに意外なまでに自然にリズムの中に溶け込みます。先月は慣れ親しんだ日本語のはずなのに歌うのは意外に難しいという話になりましたが、実はこの詰め込みはより話し言葉に近く歌おうとする動きなのかも知れません。
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