巷はゴールデンウィーク。連休のまっただ中という方も多いかと思います。私の場合は長期連休が用意されている仕事ではありませんが、普段から土・日休みなのでこの週末は自動的に5連休になっています。もちろん休みが多いのは嬉しいことですが、あまり長く休んでしまうと連休明けに仕事に復帰するのに苦労しますよね。よっぽど遠くに出かけるのでなければ、休みは小刻みにたくさんあった方が嬉しいかも知れません。
せっかくの連休なのに家でごろごろしているのももったいないので、ちょっと遠くまで出かけてきました。行き先は五箇山。この「ごかやま」は富山県南西部の山間地を指す呼び名で、独特の構造を持つ合掌造りの家々が有名な地域です。昔ながらの雰囲気をそのままに残しているのが上平村菅沼と平村相倉(あいのくら)の両集落で、これらは1995年に岐阜県の白川郷とともに世界遺産に登録されています。行き先を決めた直接のきっかけは、合唱団でこの夏歌う曲が「富山に伝わる三つの民謡」だったこと。作者の岩河三郎氏が、ふるさとである富山の民謡3つをモチーフにして作った組曲ですが、そのうち2つが五箇山の民謡なんです。自分たちで歌うからには、歌の根底にある世界を体感してこよう!ということで、合唱団の人たちを誘って私の車で出かけることになりました。
そして、私自身にとっては五箇山にはもう一つの思い入れがありました。小学生の頃に、林間学校で訪れたことがあるのです。普通なら林間学校は県内近隣の施設で行われ、テントやバンガローに泊まると思うんですが、私たちは五箇山で民宿に泊まりました。簡単には行けないような場所で、貴重な体験ができたと思います。そんなに遠いところで林間学校が行われたせいか、私の小学校では修学旅行というものはありませんでした。その役割を補ってあまりある林間学校だったとは思いますけどね。
浜松から五箇山までは、東名・名神高速と東海北陸道を乗り継いで約300km。昔なら丸一日掛けないと行けない場所でしたが、今なら順調に行けば4~5時間ほどの道のりです。それでも普通なら最低1泊はする旅行だと思いますが、直前になって決めたこともあり、今回は日帰りで行くことにしました。早朝に出て、日付が変わる前に帰ってくるくらいの気で行けば何とかなる…と踏んだわけです。
5月1日・土曜日、朝7時。予定通りに車は浜松西ICから東名高速に入りました。先に「順調に行けば」と断りを入れましたが、こんな時期に出かけて車が順調に流れるはずもなく、案の定名古屋IC近辺では30km近い渋滞となっていました。そこで、東名高速は豊田東ICで降りて瀬戸市方面に向かい、春日井市→犬山市→各務原市と経由して岐阜各務原ICから東海北陸道に乗りました。時間が短縮できたのかはちょっと微妙なところでしたが、超低速で高速道路上をイライラしながら進むよりはおもしろかったかも知れません。
さらに、東海北陸道でも渋滞に遭遇。東名高速とは違い、こちらの場合は降りても迂回路は並行する国道だけですから、我慢して高速本線上を進みました。沿道の山々の緑が目に心地よかったのは救いでした。数々の長いトンネルや、日本一の高さ118mの高架・鷲見橋を通り過ぎ、荘川ICで降りたのは午後1時少し前でした…予定ではもう到着しているはずだったんですけどね。
荘川ICを降りて最初に驚いたのが、桜が咲いていたこと。この辺りは標高が1,000m近いですから、このくらい時期が遅れても当たり前なんですが、予想もしていなかったので嬉しかったですね。桜と言えば、この後しばらくは御母衣(みほろ)ダムのダム湖畔を下っていくことになりますが、途中には湖底に沈んだ寺の境内から移植した桜の巨木・荘川桜があります。駐車場が大混雑で、立ち寄る余裕はありませんでした。
ダム湖を過ぎると、もう一つの合掌造り集落・白川郷を通ります。ちょっと覗いていこうか?と車を脇道に入れましたが、あまりに車と観光客が多すぎたので通り抜けるだけにしました。伝統的な景観はちゃんと保存されていると思うのですが、その一方ですっかり観光地化が進んでいるようです。
白川郷ICから東海北陸道に乗り直し、次の五箇山ICを出てちょっと走れば、五箇山の世界遺産の一つ、菅沼合掌集落に到着です。着いたのは午後2時半過ぎ。実に7時間半もかかってしまいました。菅沼は白川郷と比べると実にこぢんまりとした集落です。観光客の人数はずっと少なく、駐車場も無料です。
普通の観光地とは違い、合掌集落の家々には人々がごく普通に住んでいます…もちろん、中には資料展示館や民宿もあるわけですが。菅沼では実にのんびりした時の流れを感じましたね。大昔からずっとこんな生活リズムだったんだろうなぁ…と感じました。合掌造りの家の軒先ではひなたぼっこをしているお年寄りを見かけました。中央の水田には水が張られていました。
ところで、先にも触れたとおり世界遺産に登録された合掌集落は3つあるわけですが、五箇山の合掌造りと白川郷の合掌造りとを比べると、入り口の位置、茅葺き屋根の材料、その屋根の造形の処理など、結構造りが違うところが多いのだそうです。距離はそれほど離れていないわけですが、交通の便も悪かったこの地で、それぞれに独自の文化を創ってきたのでしょうね。
今回の日帰り五箇山紀行はまだまだ続きます。この後にもまだまだ見所は多いのですが、このまま書き続けるとあまりにも長くなってしまいそうです。続きはまた回を改めてということにさせてください。
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