前回からの続きで「日帰り五箇山紀行」のレポートです。前回分をまだご覧になっていない方は、こちらから先にお読みいただくと、話のつながりがよくわかっていただけると思います。
菅沼から相倉に向かう途中、平村の上梨集落には「こきりこ唄の館」があります。「三つの民謡」の一つでもある「こきりこ」は、千数百年前の大化の改新の頃から歌い継がれてきたと言われる古い民謡です。広く世に知られるようになったのは戦後になってからですが、現在では中学校の音楽の教科書に載っているほどよく知られた曲ですね。こきりこの歌に合わせて踊られる舞は、中世の香り豊かな田楽踊りの雰囲気を今に伝えています。田楽といえば、静岡県内の水窪町(みさくぼちょう)でも西浦(にしうれ)田楽というのが今に伝わっています。この水窪の田楽関連の資料も展示されていました。こんなところで身近な地名を見かけて嬉しかったですね。どちらの踊りも生で見たことはありませんが、写真やビデオなどで見ると雰囲気は確かにちょっと似ています。
ここで一つお土産を買ってきました。こきりこの踊りには欠かせない楽器、「ささら」です。ヒノキで作られた小さな板を108枚束ねて(煩悩と同じ数ですね)作られたもので、両端の取っ手を持って手首のスナップを利かせてこんな風に音を出します。
ささらは小学生の頃に行ったときにも是非欲しかったんですが、お小遣いが足りずに買ってこれませんでした。ようやく積年の恨みを晴らした(?)わけです。ちなみに、映像に出ているのは「特中」サイズで、お値段は3,150円(税込)でした。これよりもさらに小さい「中」サイズがありましたが、こちらは板が80枚くらいしかありません。やっぱり小さくても本物が欲しいな…と思ったわけです。それでも「大」を買ってこないところは何とも中途半端な本物志向ですが。
その「こきりこ唄の館」の隣にあるのが村上家。400年前に建てられたと言われる国の重要文化財で、昔ながらの姿を今に残した立派な合掌造りです。建物自体も非常に面白いんですが、それ以上に面白いのは囲炉裏端で村上家のご当主が解説をしてくれること。家の造りや昔の生活はもちろんのこと、こきりこの生歌を聴くことができます。しかも、こきりこ演奏の実習までさせてもらえたんです。
先に出てきたささらのことを「こきりこ」だと思っている人も結構いるようですが、本物のこきりこは歌い出しに「こきりこの竹は七寸五分じゃ」とあるとおり、長さ20cmあまり、太さは1~1.5cmくらいの飴色の竹の棒です。これを2本一組にして打ち鳴らして拍子を取ります。この竹は合掌造りの天井に張られているすのこから取るのだそうですね。だから囲炉裏の火の煤であんな色になっていて、しかも十分に乾燥していますから音が良く響きます。
こきりこは手首を回しながら棒の両端を交互に打っていくのが正しい演奏法。…と言葉で書くと実に単純なんですが、テンポに合わせて間違えずに繰り返していくのは意外に大変です。途中でちょっと間違ってしまうとなかなか元の流れに乗れません。これも小学生の頃に体験したはずなんですけどねぇ…。はるばる浜松から来て、流暢に歌いながらこきりこを回すのに悪戦苦闘する変な4人組を、ご当主はどう思われたんでしょうか?
相倉合掌集落に到着する頃には日はかなり傾いていました。山には霞もかかってきていました。写真に撮って映えるのは青空の下かも知れませんが、実際にその中に身を置いてみると、こんな雰囲気もまた味があります。山の霞もやっぱり春の象徴ですしね。
小学生の頃に来たときはここに泊まったんですが、そのときに持った「近代文明と切り離された秘境」というイメージと比べると、ちょっと観光地化は進んだような気がします。それでも、家並みから人々の生活感を色濃く感じることは変わっていませんでしたね。菅沼では水田に水が張られていましたが、こちらでは畑の土が耕されていました。建物だけではなく、人々の暮らしを含めて保存されていることに価値があると思います。
ところで、合掌造りの家を見ると、窓は障子張りになっているわけですが、雨戸らしきものが見あたりません。雨が降ったときにはどうするんだろう?と気になり始めました。「板を打ち付けるんだよ」「木の扉にはめ替えれば良いんじゃない?」などと意見を出し合ったわけですが、相倉で地元の方に訊いてみたところ、答えは想像を超えるものでした。それは「何もしない」。「五箇山の和紙はとっても丈夫だから、雨や風くらいじゃ穴なんて開きゃしないよ」だとか。和紙づくりは五箇山で昔から盛んな産業の一つなんですよね。当然、障子紙も手作りなわけです。
屋根や壁も非常に風通しの良い構造になっていますが、中でさらに部屋が分かれていますし、常に囲炉裏で火が焚かれているので、住んでいても寒いことはないのだそうです。しかも、風通しが良いわけですから一酸化炭素中毒なんて考えられません。400年以上の歴史が生んだ建築技法は、私たちの浅はかな考えなどとうてい及ばない奥の深さを持っています。
帰り道は、五箇山ICから東海北陸道を北に向かい、北陸道経由で帰ってきました。日本海を見ながら快調に走り、特に渋滞もなく、何とか日付の変わる前の夜10時半頃に浜松に着きました。この日の走行距離は合計711km。久々に長距離を一気に走りました。考えてみると1日の運転距離では最長記録です。まあ、ほとんどが高速道路で道が良かったので、大して苦にはなりませんでしたけどね。やっぱり高速道路は便利です。
今回の旅行は、季節としてもちょうど良い時期に行くことができて、新しく知ったことも多く、とても楽しい一日でした。もうちょっと早い時期から計画して、民宿にもまた泊まってみたいですね。小学生の頃とはまた違った感動を得られるはずです。
コメントを残す