日曜日・24日に、浜松交響吹奏楽団の定期演奏会に行ってきました。私たちの合唱団と同じように、社会人や学生の人たちが毎週集まって練習をしている「市民吹奏楽団」で、年に1度の定期演奏会以外にもコンクールへの出場、様々なイベントへの参加、さらにはCDの録音など精力的に活動されているのだそうです。今回、チケットをいただいたのが縁で初めて聴くことになりました。
演奏会場はアクトシティ浜松の大ホール。最近では年に1度はステージ側に立っている場所ですが、観客席側に入ったのはずいぶん久しぶりです。私のいただいたチケットは2階席最後列の指定席券でした。視点が適度に高いのでステージを「見る」ためには非常に良い場所です。もちろん音質面も問題ありません。実に良くできたコンサートホールです。さすがに4階席まで行くと疑問も出てきますが。
演奏会では、クラシック系の作品から映画音楽、J-POPまで様々な曲が演奏されました。メインステージはいかにも現代音楽的なちょっと難解な印象を受ける曲でした。聴いてもらいたい曲、演奏したい曲を巧く取り混ぜた構成だと感じました。自分たちで演奏会のプログラムを決めるときにも参考にしたいところです。
今回は、音楽を聴くばかりでなく、演奏している姿を見ているのも楽しかったですね。演奏者自身の息を音に変える管楽器の「楽器で歌う」情熱は、全身の動きとなって伝わってきましたし、打楽器奏者も全身を動かしながら時には激しく、時には優しく音を奏でます。また、ピアノの演奏を見て、鍵盤もやっぱり打楽器なんだ…という意識を新たにしました。満足度の高いライブでしたね。また「見に」来ようかな?という気になりました。
新しいメモリオーディオプレーヤーが届いてから初の週末にライブ演奏を聴いたことになるわけで、いろいろと考えることがありました。この手の製品が普及してきた背景として、音声データの圧縮技術が進歩してきたことがあると思います。最初にこの方面の道を開いたのは、もともとは動画データの音声トラックとして開発されたMP3で、これはPCMデータを約10分の1のサイズに圧縮していました。現在の最先端の方式では、さらに半分の20分の1以下に圧縮しています。
ここで「圧縮」という言葉を使いましたが、これらの方式は全てデータを元通りに戻せない非可逆圧縮です。なぜ非可逆なのかを突き詰めれば、それはデータを間引いているからに他なりません。人間の耳に音がどのように届いているかを分析し、聞こえにくい音から間引いていくという手法を使っているのだそうです。とはいえ、95%のデータを間引いてしまっても、音質がほとんど落ちていないように感じるのですから実に不思議です。私たちの耳は、技術のマジックに見事に騙されてしまうわけです。
ところが、前回も触れたとおり、この騙され具合が音源のジャンルによって結構違うようです。最初にクラシック系の音源を圧縮したときに、妙に迫力のない演奏になったように感じました。よく聴いてみると、どうやら小さな音が少し大きめになっているようです。強弱のメリハリはクラシックの生命線。こんなところを圧縮されては困ってしまいます。一方、元々強弱差はそれほど多くないJ-POPではそんなことは気になりません。特に、電子音の多い作品だと圧縮されていることを忘れそうになります。
どうしてこうなるのか?…もともとクラシックの音声データがJ-POPよりも圧縮しにくいものなのかも知れないんですが、それ以上に音声圧縮の方法がポップス系の曲に対して最適化した設計になっているような気がします。ターゲットを絞れば、効率の良い圧縮方法…言い換えれば間引き方が決まってくるはずです。一番多く出回っているであろうポップス系の音声データに合わせて設計するのは理にかなった戦略でしょう。
こうして音楽の「間引き」について考えていくと、そもそもデジタル記録された音声データは極端に間引きされていると言えます。CDに記録されている16bit・44.1kHz・非圧縮のPCMデータの場合、1秒間に44,100回、その瞬間の音声レベルを65,536段階で読み取って、それを並べているわけですが、裏を返せば、それ以外は全て間引いて切り捨てていることになります。
それどころか、ライブ演奏を録音した時点で、音楽はかなりたくさんのものを切り捨ててしまいます。私が日曜日に感じた演奏者たちの息遣い、聴衆との一体感…。スタジオレコーディングには聴衆がいませんし、パソコンでの打ち込みにはそもそも演奏者がいないわけですが、録音された時点で音楽は作り手たち自身には制御できないものへと形を変える…とは言えると思います。ただ、録音することで失うものばかりではありません。何度も録り直すことでより高いパフォーマンスを狙うこともできますし、より多くの人に手軽に聴いてもらえる機会も得られます。ライブと録音物とは、いろいろな意味で本質的に異なるもののような気がします。
時代とともに音楽が「間引かれて」きた流れは、本来コミュニケーションであった音楽が商品として扱われるようになった流れと重なっているような気もします。私自身、ライブでも録音でも音楽を発信しているわけですが、誰かに自分の思いを伝えるための手段であるという原点は常に大事にしていきたいと思っています。
ところで、ライブドアとフジテレビの間で話し合いに決着が付いたようですね。フジテレビがニッポン放送株をライブドアから全て買い取った上で、さらにライブドアに資本参加。業務提携の話し合いは今後も続けていく…ということのようです。
ライブドアの堀江社長は「想定内の中では良い方に収まった」と思っているようです。下手すれば会社がつぶれるかも知れない大勝負でしたが、結果として業務提携という目的は達成できたわけですから、確かに「良い方」ではあります。しかし、恐らく最大のポイントは、堀江社長の手元に千数百億円の資金が戻ってきたこと。きっと彼はまた何かを買おうとするはずです。まだまだライブドア旋風は吹き荒れそうですね。堀江社長は正直言ってあまり好きではないんですが、同年代なこともありついつい応援はしたくなってしまいます。困ったヤツですねぇ。
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