先週出かけた槇原敬之のライブ「cELEBRATION 2005 -Heart Beat-」で演奏された曲を順番に並べて、マイカーの車内で聴けるようなプレイリストを作りました。彼の作品は、アルバムなら一部のベスト版を除いてほとんど持っています。しかも、それを全てカーナビのハードディスクに読み込ませてありますから、あとはそれを抽出して並び替えるだけ。
しかし、1曲だけ持っていない曲がありました。「明けない夜が来ることはない」は、最新のオリジナルアルバム「EXPLORER」の発売後に出たシングル曲で、まだ収録されたアルバムがありません。この曲を入手するためには、シングルCDを購入するか、借りるか…ということになりますが、今回はさらに別の方法を使ってみました。ネット配信による音楽販売サービスを利用したんです。
今回は「Mora」を利用することになりました。国内最大手、邦楽の提供曲数でも最高レベルのサービスです。Moraでは、槇原敬之の楽曲の中でも逮捕前までのSME在籍時代と、最近の東芝EMI移籍後の作品をダウンロードで購入することが出来ます。あの「どんなときも。」などのワーナーミュージック時代の作品は買えません。購入できる楽曲が所属会社がどのサービスに楽曲を提供するかで制限されてしまう…というのが、この手のサービスの泣き所です。Moraで購入したのも「他では買えないから」という実に消極的な理由が決め手になっています。
ただし、私にとってはMoraで購入することの強みがもう一つあります。それは、私の持っているウォークマンスティックにデータ変換なしで転送が可能なことです。ソニー系列のサービスなだけに、提供される楽曲のファイルはネットワークウォークマンでネイティブに使われるATRAC3形式。ビットレートは132kbpsで、ほぼCDと遜色ない演奏が聴ける…ということになっています。
ちなみに、ATRAC3形式のデータをパソコンで再生するためにはSonicStageという専用ソフトが必要です。まあ、私の場合はウォークマンスティックに付属していたのをCDからの読み込み・転送のために使わざるを得なかったので、導入には全然問題なかったんですが。専用のデータ形式と専用ソフトの使用で著作権保護を確実にする…という方法論は、Apple社のiTunesとまったく同じです。
シングルCD「明けない夜が来ることはない」には、カップリング曲の「スポンジ」と両曲のカラオケ、計4曲が収録されていますが、Moraではこの中から好きな曲だけを選んでバラで購入することが出来ます。今回は、タイトル曲1曲だけを購入。価格は200円でした。
このデータは、もちろんパソコンで演奏したりウォークマンスティックに転送したり出来るんですが、回数限定で音楽CDとしてCD-Rに書き込むことも出来ます。今回は、このシステムを使って音楽CDを作り、カーナビに読み込むことになりました。これで出来上がりです。厳密に言うと音質の劣化も起きているはずですが、少なくとも車内では違いはわかりません。
先にも触れたとおり、ネット配信による楽曲音源の販売サービスでは、シングルでもアルバムでも、収録されている楽曲の中から1曲単位で自由に選んで購入できるのが普通です。アルバムを全曲購入すると割引価格が適用になる…という価格体系で、CDを購入するよりは安価に設定されているようです。アルバム中から数曲を選んだり、私のしたようにシングルのタイトル曲だけを購入したり…というパターンなら、ディスクを購入するより安価になる設定です。
欲しい曲を安く買える、お得なシステムだと言えそうです。でも、遙か昔にどこかで同じようなものの買い方をした覚えがあるなぁ…と考えて思い出したのが、デパ地下でのお菓子の量り売り。アメ玉などのいろいろなお菓子の小袋が回転するワゴンに乗っていて、かごに好きなものだけを拾ってお店の人に渡すと、重さで値段を付けてくれます。箱に入った詰め合わせではなく、好きなものだけをつまみ食い…あれと全く同じ感覚です。
ただし、この「音楽の量り売り」にも、ちょっと気になる面があります。Moraでの槇原敬之の「今日の人気楽曲」を見ると、アルバム「Listen To The Music 2」から宇多田ヒカルのヒット曲をカバーした「Traveling」がランクインしていました。このアルバムのプロモーションでも前面に出ていた曲で、「聴いてみたいな」と思った人が多かったのだと思います。しかし、考えてみると、この曲のダウンロード数が突出していると言うことは、この曲以外のアルバム収録曲は聴いていない…という人が相当数いることになります。
ずいぶん前にもちょっと触れたことがありますが、特に新作アルバムには、普段のシングル楽曲では表に出てこない、アーティストの別の面が垣間見られて面白いこともあります。「量り売り」でお目当ての曲だけを購入して満足してしまうことで、こうした新しい発見のチャンスを失ってしまうのではないか?と危惧しています。
もう一つ気になるのは、1曲単位で購入することにより、アルバム全体としての存在感がないがしろにされてしまうのではないか?ということです。アルバムを制作するアーティストの側では、その中にどんな曲を収録するか、さらにはどんな順番で聴かせるかに神経を使っているはずです。自ら曲を作る私の立場からしても、例えば現在Music Worldに公開している11曲をアルバムとして構成するなら、曲順はどうするのか?…結構迷うところです。少なくとも、現在「Library」で並んでいるような、曲名の五十音順にはならないと思っています。それどころか、全てを1枚に納めるのではなく、一部の曲は外したり、未公開の曲を入れたりしたいところです。
CDの登場以来、アルバムに収録されている曲順や聴く曲の組み合わせについては、私たちは既に制約から解放されているわけですが、ネットワークからバラ売りで購入することにより、収録されている曲の組み合わせまでも簡単に変えることが出来るようになりました。いろいろな楽しみ方が用意されている…という意味では進歩なのかも知れません。しかし、それはアーティストの意志、主張までも細切れにしてしまっていることなのではないでしょうか。それが気になって仕方ありません。
「2段ロケットの1段目」のときには斬り込みきれなかった、ネット配信による楽曲販売の抱えている問題(と私が感じていること)について触れています。久々に硬派なWeeklyかも知れません。1曲単位で、安価に楽曲が購入できるのは確かに便利になったのでしょうけど、本当にそれでいいのでしょうか?。一歩間違うと、「アルバム」という作品形態の存在意義に関わるような気がしています。
コメントを残す