今日は、浜松フロイデ合唱団のベートーヴェン「第九」演奏会。今年も、合唱団員としてアクトシティ浜松・大ホールの舞台に上がりました。2300人が収容できる大ホールが、満員に近い大賑わいになりました。多くの皆さんと感動を共有することができて、とても良かったな…と思っています。
今年は歌い始めてから5回目になりますが、個人的にはこれまでで一番大変でした。といっても、別に練習が例年と比べて特別厳しかったわけではなく、私がしばらく浜松にいなくて十分に練習に参加できなかったからなんですけどね。正直なところ、本番の舞台に立たせてもらえるか心配でしたが、何とかこの日を迎えることができました。
歌っている曲は同じでも、毎年団員の相当数が入れ替わり、共演する指揮者、オーケストラ、ソリストも変わります。そんな中で、毎年いろいろなことがあり、いろんな思いを抱えて本番に臨みます。それでも、演奏が終わった後のすがすがしい気持ちは毎年変わりませんね。それが忘れられなくて、ここまで歌い続けてこられたのかな?と思っています。
ところで、ついさっき「歌っている曲は同じ」と書きましたが、この表現にも実はちょっと問題があります。今年は、これまでと違う楽譜を使って歌ったんです。今年使った楽譜は、「ベーレンライター版」と呼ばれるもの。楽譜に関する最新の研究成果を基に、ベートーヴェンが本当に意図していた演奏はどんなものなのか?を考え直して、1996年にベーレンライター社から出版されたものです。合唱団としては、以前にこのベーレンライター版を使ったことがありましたが、私にとっては初めてでした。輸入楽譜なので、お値段もちょっと張りました。
一方、これまで使っていたのはカワイ出版の出している楽譜。これは、基本的には1864年に刊行された、「ブライトコプフ版」と言われる楽譜を基にして作られています。ベーレンライター版が出版されるまでの130年以上の間、事実上スタンダードだったのがこのブライトコプフ版。これもベートーヴェンの意図していた演奏の再現を目指したものであることは同じだったんですが、ベーレンライター版で変更された箇所はかなりたくさんあります。それも、音符のリズムや音程、速さの指定、歌詞の内容やフレーズへの当てはめ方など多岐にわたり、「別物である」と言っても過言ではありません。
どうしてそうなってしまったのか?…これは、当時作られた第九の楽譜に、いろいろなものが混在しているためのようです。ベートーヴェン自身が書いたもの、それを手書きで書き写したもの、これにさらに訂正が入ったもの、印刷用の校正原稿…と、それぞれに内容が違っています。このうちどれの優先順位を高く見るかで、内容が変わってしまうわけです。
また、ブライトコプフ版では音楽形式としての整合性を考慮して、独自の修正をした部分もあるのだそうです。「そもそもベートーヴェンが書き間違えていたのではないか」という立場ですね。一方、ベーレンライター版ではオリジナルの楽譜に近づけることを重視し、敢えて不整合を残しています。「あえて不規則なことが緊迫感を生んでいる」なんて解説もされたりします。
今年は、毎週合唱団員の皆さんに配布している「合唱団ニュース」の中で、「楽譜を読もう!」という連載記事を執筆しました。毎年市民から公募して、入団オーディションは行わない合唱団ですから、楽譜が読めない人もかなりいらっしゃいます。そんな皆さんにも、楽譜を読むことを意識してほしいな…と思っての企画でした。この連載の冒頭に、こんな風に書きました。↓
「どうして私たちが200年以上も前に作られた『第九』を歌うことができるのか? それは、この曲を作ったベートーヴェンが楽譜を書き残していたからである…と言っても過言ではありません。皆さんが手にしている楽譜の中には、作曲家の思いが一杯詰まっています。『楽譜なんて難しいなぁ』と思われるかも知れませんが、楽譜を読むことは、そんな作曲家の思いを読み取ることでもあります。」
特にクラシック音楽の場合、楽譜こそがオリジナルを知ることのできる唯一の資料であることが多くなります。「第九」が作られた19世紀の初頭には、まだ録音という技術は存在しませんでしたから、残っているのはまさに楽譜だけ。だからこそ、私たち演奏する側は、楽譜を大事に読み取らなければならないんです。
楽譜を大事に読み取ろうとする大きなプロジェクトの成果が、ブライトコプフ版であり、ベーレンライター版である…と言えるでしょう。二つの間に全く違う部分がある以上、少なくともどちらかは本来ベートーヴェンが意図したものとは違うはずです。おそらく、どちらも厳密には正しくないのでしょう。しかし、内容の違いを「楽譜の解釈の仕方の差」と捉えるのなら、これらの楽譜は「楽譜の読み方」の方針を示したもの…と言えると思います。
ベーレンライター版が登場して以降、これを使った演奏会が増えてきているそうです。しかし、完全にベーレンライター版に則った演奏ではなく、部分的にブライトコプフ版的解釈を残したり、さらに独自の解釈を入れたりした演奏が普通なのだとか。結局のところ大事なのは、一人ひとりが楽譜を見てどんな音楽をイメージするか?だけなのかも知れません。
もちろん、それは大事に読み取ろうとする気持ちがあってこそ…ということになります。楽譜を見ると、ついつい音符の高さと長さにばかり目が行ってしまいますが、楽譜には他にもいろいろな記号が書き込まれていて、それぞれにちゃんと意味があります。来夏の浜松混声合唱団の演奏会では、また新曲に挑むことになりますが、そんな気持ちを持って楽譜に向き合いたいですね。
今年も、浜松フロイデ合唱団のベートーヴェン「第九」演奏会が無事終わりました。今回は、この演奏会のために使った楽譜のことを記事にしています。第九ほどの大曲になると、楽譜の整合性を取るのも大変みたいですね。そもそも、一番の根拠になるはずの自筆の楽譜には、一部存在しない部分があったりもするので、話はかなり厄介なんですが。
ブライトコプフ版とベーレンライター版の違いは、もともとは合唱団ニュースの連載記事「楽譜を読もう!」の番外編として用意していたテーマです。初心者の皆さんからときどき受ける質問なんですが、読んでもらうには中身がちょっと難しいかな?ということで、結局掲載はしませんでした。ちなみに、ブライトコプフ版は「ブライトコップ版」などと呼ばれることもありますが、原語であるドイツ語では「Breitkopf」と綴ります。「f」の発音を意識して「~コプフ」と書いているわけですが、実際にこうカタカナ読みするとまず通じないでしょうね。むしろ「ブライトコップ」の方が通じるかも。
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