昨年の11月に娘が生まれてから、2ヶ月が過ぎました。身体はずいぶん大きくなりました…もっとも、最初から人並みよりは大きかったんですが。抱っこしていると、両腕が張って痛くなってきます。それでも、夜帰宅したときに抱いているだけだからこの程度で済んでいるんですよね。紫緒は腱鞘炎に苦しんでいるようです。
泣いているか、寝ているかだった娘が、最近は「あー」とか「うー」とか声を上げるようになってきました。まだ彼女の思いをすべては受け止められませんが、できるだけ返事はしてあげるようにしています。いろいろな話ができるようになるのが楽しみですね。もっとも、そうなると私たちの側の悩みも増えてきそうですが。
娘が生まれたときに、ちょっとした家族会議が開かれました。議題は、「娘の名前と写真をブログ上に公開するか」。たびたび話題にも出てくるとおり、紫緒もブログ書きなんですが、娘をブログ上で紹介するときに、どう扱えばよいかが問題になりました。
彼女のブログでも話題になりましたが、娘の名前については実にいろいろと考えを巡らせました。どんな漢字を使うか、読みはどうするか、親戚に似た名前の人はいないか(気をつけないと、親戚一同集まったときに混乱します)、姓名判断ではどうなるか(これも親戚から横やりが入るかも知れませんよね)。国際化の進んだ世の中ですから、海外でも通用するといいな…なんて視点もありますね。私たちの思いが詰まった、なかなか良い名前をプレゼントできたと思います。
また、二人して写真を撮るのは大好きですから、娘の写真も大量に撮りためています。既に1,000枚を大きく超える写真の中には、なかなか良い表情が写ったものもあります。娘の名前と姿を、多くの人に見てもらいたい思いがあるのは確かです。
しかし、名前や顔写真は、取り扱いに注意しなくてはならない個人情報である…という一面を持ちます。娘の大事な個人情報は、親である私たちが守らなくてはならないと思っています。インターネット上に公開するのは、世界中にばらまいているのと同じこと。「載せたいのだけれど、良いかな?」と訊いてきた紫緒に対して、私は「顔も写真もNG」と主張しました。
結局、写真は非公開とした上で、名前はニックネームを付けて呼ぶ…ということに決まりました。ただ、これらを公開しないとしても、他にあるいろいろな情報で個人の特定ができる可能性は常に抱えているんですよね。考え出すときりがありません。どこまで保護するか…という、バランスの問題なのかも知れません。
「ゆく人、来る人」のときにも、父のことをどう書くのかで相当迷いました。父の情報は、父自身の情報であるだけでなく、私の家族に関する個人情報とも言えます。母のことを書いたときには、まだそこまでは考えが回りませんでしたが、「個人情報の保護」が叫ばれるようになって、かなり意識するようになりました。
ややこしいのは、私の父の情報は、ささっちの父の情報でもあり、紫緒やぶんたさんの義父の情報でもあり、娘の祖父の情報でもある…ということ。家族の中でも、個人情報をどこまで保護するかの方針が同じだとは限りません。自分の書く記事が、他の家族の個人情報保護の方針に、計り知れないダメージを与える危険性もあるんですよね。あの記事は、もしかすると誰かに迷惑を掛けてしまったかも知れません。
そもそも、どうして個人情報を守らなくてはならないのか?なんですが、これはもう「第三者に悪用されると困る」ということに尽きます。例えば、氏名、生年月日、住所や電話番号に加えて、クレジットカードの番号さえあればネット上では買い物ができてしまいます。取り扱いには細心の注意が必要です。不正に使われた形跡がないかどうか、こまめなチェックも大事ですね。
悪用とまでは言い切れないのかも知れませんが、仕事中の職場に頻繁にかかってくるセールスの電話には迷惑しています。こちらは忙しいのに…。休日になると、今度は自宅の方に同じような電話が掛かってきます。中には、自宅にかけてきているのに、職場の電話だと思いこんでいる人もいます。
訊いてみると、こういう方々は個人情報のリストをどこかから購入するようですね。職場で作る職員録には、この手のセールスに使われないように…と、自宅の住所等は載せなくなったんですが、名簿を作る人たちは、いろんな方法で自宅の電話も調べているのでしょうか。何だか気持ち悪いです。
来月に三重県津市で開かれる、保育園児の作品展示会で、作品に付ける名札には園児の名前を書かず、保育園名と番号を表示することになったそうですね。個人情報の保護は、法律ができてから特に意識が強くなった気がしますが、ここまで来ると過剰反応のような気がします。
家庭の事情などで、保育園名と名前が出ると困る方もいるかも知れません。でも、この手の展示はむしろ親が我が子の作品を自慢したい気持ちの方が強い気がするんですよね。この場合、名前が出ていないのでは困るわけです。
確かに子供たちの個人情報は周囲の大人が守るしかありません。しかし、ここまで極端な対応を取りたくなるのは、それだけ現代の社会が物騒になっているからこそなのかも知れません。何とも寂しい、悲しい話です。
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