浜松フロイデ合唱団のWebサイトで紹介されていた「クラシック悪魔の辞典(完全版)」を、図書館で借りてきました。また、これと合わせて紹介されていた、「新編 悪魔の辞典(岩波文庫)」も借りてきました。
浜松市立図書館のWebサイトでは、広い市内のあちこちにある22の図書館すべての蔵書から、欲しい本を検索し、予約し、最寄りの図書館で受け取ることが出来ます。これはとても便利ですね。今回も、このシステムを利用しています。
昔からよく図書館を利用している紫緒によると、それぞれの図書館に「得意分野」があるのだそうですね。ですから、遠くの図書館に足を運ぶのにも、それなりに意味があるのだそうです。ちなみに、「クラシック悪魔の辞典」には天竜図書館(旧天竜市)のステッカーが貼ってありました。
「悪魔の辞典」は、アメリカの短編小説家、アンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce, 1842 – 1913?)の作品。「辞典」という名前の通り、ある単語に対してその説明を記したものを集め、まとめたものです。これらの多くは、もともとは個別に新聞や雑誌に社会批評として掲載されたものだそうですね。
項目の一例は合唱団Webサイトの記事にも引用されていますが、あそこに挙げられているのはかなり簡単な、わかりやすいものです。頭から順に読んでいくと、かなりな頭脳労働になります。この辞典が作られた19世紀後半のアメリカという時代背景を頭に置いておく必要がありますし、聖書や既存の詩などの言い回しをパロディーにしているものもあります(これらについては注釈が付いていますが)。さらに、説明文の言い回しそのものが相当「辞典」らしいのもわかりにくさを増幅します。英語の原文も、ウェブスター辞典の言い回しを真似ているそうですね。
そして、何より頭を疲労させるのが、徹底的に屈折した視点。説明文の毒気が強すぎて、容易には受け付けられないものもあります。ただし、単に屈折しているだけではなく、誰もが思っていても言えないことをズバリと文章に表してくれる(表してしまう?)のが、この辞典の真骨頂。私たちにとっては、これがある種ストレス解消になります。腹を抱えて爆笑するというよりも、じっくり読んだ後でニヤリとさせられますね。
ネット書店のAmazonで「悪魔の辞典」をキーワードにして検索をかけると、実に50冊近い候補が表示されます。これらの中には、本家「悪魔の辞典」のコンセプトを、様々な業界の専門用語に適用した作品が数多くあります。「クラシック悪魔の辞典」も、そうしたものの一つです。
コンサートや劇場に関する単語に始まり、音楽用語、作曲家や指揮者、演奏家等々、クラシック音楽に関わる様々な用語に、「悪魔の説明」を加えています。本家「悪魔の辞典」と比べると、出てくる単語とその世界に関する知識がある分だけ、素直に笑える解説が多いですね。何より、日本人が日本語で書いた文章であるのはありがたいです。
「悪魔の辞典」の記述が、当時の世相の痛烈な風刺であることも多かったのと比較すると、「クラシック悪魔の辞典」の内容は滑稽さを笑い飛ばすレベルに収まっているものが多いですね。この「毒気の薄さ」が、私たちが素直に楽しめる理由かも知れません。
先にも触れましたが、「悪魔の辞典」ファミリーで最も大切なのが、常識とは異なった視点。とはいえ、単にずれていればいいわけではありません。言葉が本来はどんな意味を持っているのか、そしてその意味に対して、人々がどんな違和感を感じているのかを感じ取らなくてはなりません。
常識はあくまでも「普通の人が持っている知識」で、事実と一致するとは限らない…そう思えるかどうかが、ビアスたちのようなジャーナリズムの出発点のような気がします。あとは、それを表現するアプローチの問題でしょう。真顔で正面から取り組むか、ユーモアの衣に包んでみるか、さらに強力な毒をまぶしてみるか。
常識的なところで頭が凝り固まってしまうと、新たな発見や可能性も見逃してしまうかも知れません。結論をどうするかはともかく、時にはこうした「悪魔の視点」でものを見てみることも必要な気がします。私自身、ものを書いたり、作ったりする立場として、心がけておきたいところです。もっとも、やり過ぎにも気をつけなくてはならないと思いますけどね。
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