金曜日・3日に、テレビで映画「ハウルの動く城」が放送されました。この作品は公開された当時に映画館で見ていますが、是非もう一度見直してみたくてチャンネルを合わせました。
美しい映像は、テレビ画面で見ると多少霞んではしまいますが、映画館で見たときのイメージそのままに楽しませてもらいました。声優たちのイメージを大切にしたキャラクターデザインにも、改めて笑わせてもらいました。特に、どう見ても美輪明宏がそこで演技しているように見えてきてしまう、物語中盤までの荒地の魔女といったらもう(爆笑)。
映画館でのもう一つの感想として、肝心の話の流れがどうもわからない…という点がありました。でも、これについては事前に対策を打ってありました。紫緒がこの映画の原作である「魔法使いハウルと火の悪魔」を持っていたので、借りて読んでみたんです。
「魔法使いハウルと火の悪魔」は、イギリスの作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズによる1986年の作品。映画を見た直後から原作は是非読みたいと思っていましたが、ずいぶん遅くなってしまいました。ちなみに、映画のタイトル「ハウルの動く城」は、この本の英語原題「Howl’s Moving Castle」の直訳ということになります。この点では、ある意味原作の和訳本よりも忠実と言って良いくらいです。
帽子屋の娘・ソフィーが荒地の魔女に呪いを掛けられて老婆の姿に変えられてしまい、魔法使いハウルの「動く城」に住み着くことになり、ハウルに懸けられた呪い、そして自らの呪いを解く…という全体の話の流れは、原作も映画もだいたい同じ。しかし、もう少し細かく見ていくと、ずいぶん違う部分がいろいろあります。それも、映画の中に話が収めきれないから省略をする…というレベルでは済まない、大胆な変更がいくつもあります。例えば、原作を先に読んだ人が映画での荒地の魔女の役回りを見たら、思わずひっくり返ったかも知れません。
最初に映画を見たときには、「これはどうなっているの?」「これは何故?」と数多くの疑問が残りましたが、そのうちのいくつかはひととおり本を読んだ段階で納得できました。しかし、原作と映画では設定が変えられている箇所、さらには映画で付け加えられた要素もかなり多くて、結局謎は謎のまま(例えば「どうして映画ではソフィーの姿は老婆から娘の間を頻繁に変化しているのか?」など)になる部分もあります。
原作の方にも、とても子供向けに書かれた作品とは思えないほど難解な部分があり、解説書「『魔法使いハウル』不思議な扉の開き方」も出版されているほどです。どちらにしても、謎は全てを明らかにしてしまうよりも、秘密のまま残しておいて受け手の創造力に任せる…という部分があっても良いのかも知れません。
映画では、原作の話の流れはある程度生かした上で、制作者たちの思いをどう表現するかを考えて、敢えて大胆に脚色を加えたのでしょう。改めて映画を見直してみると、そうした原作との違いを確認していくことができます。逆に見ると、原作と変えられている部分にこそ、映画が訴えたい部分が詰まっていると言えるかも知れません。
これだけ変えてあると、原作の世界を大事にしている人ほど、「こんなの違う」と思って許せない部分がいろいろと出てくるのではないでしょうか。しかし、これはもう世界観だけ借りた別の作品と思って楽しんだ方がよいのかも知れません。ただ、これで「原作」という位置づけにしても良いのかどうかは疑問も感じますが。
映画の中では、登場人物の名前だけを生かして人物設定や登場する場面、役回りを全く変えてしまったり、名前だけが誰かの台詞でちらりと登場してきたりします。原作を読んでからこうした場面を見ると、ついついニヤリとさせられます。こうした仕掛けは、原作をちゃんと知っている人向けのものですよね。せっかくですから楽しまなくては損です。
原作の方には、「アブダラと空飛ぶ絨毯」という続編があって、これも紫緒の本棚にちゃんとあります。こちらは、最初は「魔法使いハウルと火の悪魔」と何の関係があるのかさっぱりわからないのに、最後になるとちゃんと謎が解ける作品らしいです。これから読み始めるんですが、覚悟はしておこうかと思います。楽しませてもらえそうですね。
あと、紫緒の本棚には、これもファンタジー文学の超有名シリーズである「ハリー・ポッター」の日本語訳本が全巻、映画のDVDもこれまでに公開された物は全て揃っています。是非原作も映画も全て制覇したいと思っていますが、バタバタと忙しい現状では、いつまでかかることやら。…まあ、気長に行きましょう。
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