11月最初の記事「相思相愛、片想い、横恋慕」で、日本プロ野球のドラフト会議に触れました。そのときからずっと気になっていたのが、千葉ロッテマリーンズの2位指名、長野(ちょうの)久義選手の動向でした。
読売ジャイアンツ入りを熱望していた彼は、大学時代の一昨年には北海道日本ハムファイターズからの指名を拒否し、社会人野球のホンダに入社。2年間活躍を続けてこの日を待ちましたが、またしても意中の球団以外からの指名を受けることになりました。今月に入り、長野選手側はマリーンズに入団しない旨を正式に回答。もう一年ホンダでがんばって、来年のドラフト会議でジャイアンツからの指名を待つ道を選んだわけです。
先月にも書きましたが、私は長野選手にとってはマリーンズでプレーした方が今後に有利ではないかと思っていました。もう一年待つことには様々なリスクがあります。もし来年までに大きな故障でもしてしまえば、プロ入りどころの話ではありません。もし来年のドラフト候補に超目玉選手が現れれば、スター選手が大好きなジャイアンツは、その選手を優先して指名することを考えるはずです。
来年までにジャイアンツから1位指名されるくらい注目される選手になれたとしても、今度は複数球団から指名されてくじ引きにかけられるかも知れません。さらにもう1年待つことになると、どんどん歳をとっていくわけで、プロとして活躍できる期間は短くなっていくことになります。…と、いろいろ考えてみると、どう考えても待つことはプロ野球選手として有利だとは思えないんですが、「そんなリスクもわかった上で選んだ」という選択ですから仕方ありません。それだけ、彼の「ジャイアンツ愛」が他の要素に勝ったのでしょう。
長野選手の話を聞いていて思い出したのが、元ジャイアンツの選手だった元木大介のこと。長野選手と同じようにジャイアンツへの入団を熱望していた彼は、高校3年のときのドラフト会議では福岡ダイエーホークス(当時)に指名を受けましたが、入団を拒否。普通ならここで大学に進んだり、社会人野球に進んだりするわけですが、彼は「1年間の野球留学」という裏技を使い、翌年ジャイアンツから1位指名を受けて入団。ほとばしるジャイアンツ愛を成就させたわけです。
その後の活躍はご存じの方も多いかと思います。人々の記憶に残る選手ではあったと思いますが、高校時代の甲子園6本塁打という活躍から期待される成績とはほど遠かった気がします。もっとも、ドラフト1位指名の選手でも全然活躍できずに去っていくことも多い中で、ちゃんと生き残るのは大変なことです。今から考えてみると、彼の実に泥臭いプレースタイルは、大好きなジャイアンツで何とか生き残っていくための、なりふり構わない策だったのかも知れません。
ジャイアンツから戦力外通告を受けた彼は、他球団からの誘いもあったものの、33歳で引退しました。働く場所を選ばなければ、まだまだやれた気もしますが、この辺りは彼なりのジャイアンツ愛の示し方だったのでしょうか。
多くの選手が意中の球団でプレーできないのが、現在の日本プロ野球のシステムです。選手の側が球団を選べるようになるのは、10年近く活躍すると得られるフリーエージェント(FA)の権利を行使してから…ということになりますが、それにしても意中の球団からラブコールがあるとは限りません。FAで意中の球団に移れたとしても、成績不振なら解雇されるでしょう。「意中の球団でプレーする」という夢を実現し続けられるのは、ほんの一握りだけです。
「ジャイアンツの選手になりたい」と夢を持っている人は、「プロ野球選手になりたい」という夢を持っているはずです。ドラフト会議で他の球団から指名されれば、夢の一部は叶っているわけで、そこを「完璧じゃないから」と全て突っぱねるか、「一部は叶った」と受け入れるかの違いだと思います。全ての夢なんてとうてい叶わない私たち一般人から見ると、前者はあまりに贅沢に見えるんですが、どうなんでしょうか。しかも、その後の自分のがんばり次第で、完璧に近づける手段も用意されているのに。
それにしても、この手の話題になると、昔も今もジャイアンツが対象になっていることが実に多い気がします。「巨人、大鵬、卵焼き」世代ならともかく、今ドラフト会議で指名される選手たちの世代では、それほどジャイアンツ信仰は強くないような気がするんですが…。もしかすると、家で親御さんたちに「いつかはジャイアンツに入って」とか言われてきたのかも知れませんね。それなら納得できます。親の喜ぶ顔を見たい…というのは、どんな子供にも共通の願いのはずですから。
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