「毎週日曜日更新」ということで、1999年8月22日にスタートしたWeekly SSK。その後、中断等もあったものの、基本的には号外も交えながら週に1回以上のペースで更新を続けてきました。数えてみると、今回がちょうど600回目ということになります。
とんでもない量の文章が残っているわけですが、毎週原稿を書き続けてきたことの積み重ねが、気がつけばこんなことになっていた…というのが実際のところです。千里の道も一歩から、継続は力なり…と私が自分で言ってしまうのも何なんですが、さすがに11年近くも継続しているわけで、これについては自分でも褒めて良いのかな?と思っています。
Webサイトを継続してきた期間や、アクセスカウンタ等による来訪者数の集計と比べると、実際に書いた記事の本数は自分の活動の評価としては直接的でわかりやすいものです。しかし、振り返ってみると、私自身は記事の本数について意外に無頓着だったことに気付きます。
例えば、通算500回目のWeekly SSKは、西伊豆・堂ヶ島の火祭りなどを紹介した「みんなで花火大会へ」でしたが、この回を見ても、前後の回を見ても、「500回」に関する記述は全く見当たりません。400回目は仙台での野球観戦の話でしたが、これまた回数を意識した話は皆無です。
さらに歴史を遡っていくと、201回目のところで「実は前回が通算200回目だった」という記述があります。さすがに、100回目のときには区切りの回数を意識した記述が見られますね。
201回目のときにも書いていますが、Weekly SSKの作業は常に一週間単位の流れで動いているので、気がつけば回数のことは全然気にしていない…というより、気にしている余裕がなくなってしまったんですよね。特に、ここ数年は締め切りに追われながら週末を迎えることが多くなりましたし。それでも、「週に一度以上」にはこだわっていきたいところです。
私だけの話ではなく、周囲を見回してみると、WWWの世界自体が、過去に積み上げてきたものに対する意識を希薄にしてきたように感じます。かつて個人ホームページが乱立していた頃、アクセスカウンタは当たり前の存在で、デザインや機能にこだわった様々なタイプのものが作られていました。個人だけでなく、企業のWebサイトにもアクセスカウンタがあるのは結構普通のことでした。
それが、ちょうどブログが広がりだした頃からでしょうか、アクセスカウンタをWebサイトで見かけることがだんだん減ってきたように感じます。アクセスカウンタを設置しても、あまりに数字の増え方が鈍いとモチベーションを下げてしまうので、それなら外してしまおう…ということもありますが、ブログが市民権を得てくることで、大事なのは過去に発信したことよりも情報を発信する「頻度とその質」であるという、メディアとしての本質が前面に出てきたことが影響している気がします。
ただ、一方で過去を振り返ろうとすれば振り返りやすくなったんですよね。ブログ管理ソフトが系統的な管理をしてくれているおかげで、Weekly SSKをはじめとする各コーナーに投稿した総数は、簡単に集計することができます。
「今、何を発信しているのか」を突き詰めて、もっと極端な形にしてしまったのがツイッターですよね。各「つぶやき」は140字以内…という、従来よりも極端に制約された条件の中で、ユーザーたちの雑多な発言が、基本的にはその発言の新しさを基準にして並べられます。過去に何がつぶやかれたかは、情報の重要度としては低い位置づけになっているように感じます。
文字数を絞ったことで、発言をより手軽にしてしまおう…というのが意図だったのでしょうけど、実はこのくらいの文字数で中身をきちんとまとめるのは意外に難しいことです。複数の「つぶやき」をつないで長文にしようとしても、難しさは変わりません。本格的に活用しようとすると、相当な文章力が要求されます。
ツイッターには、メディアとしてのおもしろさは感じていますが、自分でつぶやいてみよう!とはあまり感じませんでした。それは、やっぱり文章をまとめることの難しさを日々感じているからだと思います。一方で、そんな「身構え方」をしてしまうこと自体が、私の頭の「古さ」を露呈してしまっていることになるのかも知れません。
リアルタイム性の高さを活用して、ツイッターを広告手段として活用したい企業のつぶやきが増えてきました。トラックバックを集めて広告媒体としたい企業ブログもそうですが、商業利用に目を付けられるとそのメディアが変質して何処かおかしくなってきてしまう…ということはこれまでにも起こっています。どうなっていくのか、もうしばらく観察してみましょう。
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