柔道家の谷亮子氏が、競技生活の第一線から身を引くことを発表しました。これまでにオリンピックで金メダル2個を含む5個のメダルを獲得するなど、約20年もの間世界のトップクラスで競技生活を続けてきた彼女。お疲れさまでした…という感想を持ったことは確かなんですが、それでもちょっと腑に落ちないところは残りました。
2000年に、3度目のオリンピックとなるシドニー大会で初めての金メダルを獲得した後結婚した彼女は、2004年のアテネ大会では「谷でも金」を公言して臨み、言葉通りの2個目の金メダルを獲得。その後出産し、2008年の北京大会では「ママでも金」を目指しました。結果は銅メダルではありましたが、目標に挑み続けて、手の届くところにたどり着いてきた彼女のこれまでの歩みは、「有言実行」だったと言ってよいでしょう。
そんな彼女が、今年7月に行われた参議院議員選挙で、民主党の比例代表名簿に登載されることになりました。選挙に出馬する話を報道で聞いたときには、かなりびっくりしたのを覚えています。まさかそんなことに興味のある人だとは思っていませんでしたから。
それでも、考えてみると「元スポーツ選手の国会議員」というのは結構います。たいていのアマチュアスポーツ選手は、自らの置かれている環境に対して公の支援の薄さを痛感しているはずですから、何とかしたい!と思うのでしょう。彼女の国政への進出も、彼女自身にとっては意外な話ではなかったのかも知れません。
選挙では、与党・民主党にかなりの逆風が吹き荒れましたが、それでも彼女は何とか当選。国会議員となりました。当選直後の彼女は、報道陣からの質問に対して現役続行への強い意欲を見せていました。しかし、既にトップアスリートであり、妻であり、母である…と、いくつもの役目をこなしてきた彼女。国会議員の職務は、「4足目のわらじ」としてはあまりにも重すぎたようです。ちょうど彼女と同じ48kg級に有望な若手が出てきて、世代交代の時期がたまたま重なった…ということもあると思いますが、結果的には当選してしまったことがとどめを刺してしまったのでは?という思いが拭いきれません。
立候補する前に、彼女自身が国会議員の仕事をどのくらい大変なものと考えていたのか、そもそも両立できると思っていたのか。私は国会議員ではありませんから実際のところはわかりませんが、国民の代表として国のあらゆる物事をどう動かしていくのかを決めていく仕事が、ハードな競技生活の片手間でできるとはとても思えません。見通しが甘すぎたのか、それ以前に先のことも全然考えずに立候補してしまったのでは?という疑問があります。
まあ、話の始まりは民主党の方から「名簿に名前を載せてくれないか」と持ち込まれたのでしょうし、彼女自身も政治の世界への相応の思いがあったからこそ、その話に応じたのでしょう。参議院選挙は3年に一度しかありません。こうなることも想定していた上での、覚悟の行動だったのかも知れません。もしかすると、現役続行を口にしながらも、どこかで自らの競技者としての限界を悟っていたのかも…と思ったりもします。
「引退」を発表した会見の席で、彼女は「『今は』国政に専念したい」と話し、さらに競技への復帰もにおわせた発言をしていました。しかし、参議院議員の任期は6年。任期が満了する頃には彼女はもう40代です。2012年のロンドン五輪どころか、その次のリオデジャネイロ大会が開催される2016年になっています。さすがに、「国会議員でも金」はあまりにも無理がありすぎますし、それ以前に競技への復帰自体非常に厳しそうです。もっとも、女子テニスでは今年40歳になるクルム伊達公子選手が現役復帰して活躍しているわけで、可能性がゼロだとまでは言い切れませんが…。
ただ、競技者としての人生はともかく、武道である柔道には終わりがあるわけではありません。国会議員としての人生をどのくらいの期間送るつもりかはわかりませんが、彼女の気持ちが切れない限り、議員としての任期中も、その後も、柔道との関わりは一生続いていくはずです。だからこそ、冒頭で私は彼女の肩書きを「柔道家」とした訳なんですが…とりあえずは、政治の世界に全力を傾けて、スポーツ振興などの分野で成果を挙げてもらうことを期待しましょう。
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