金曜日・11日の午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震から始まった、「東北関東大震災」。マグニチュード9.0という日本の地震観測史上最大のエネルギーが解き放たれて、巨大な津波を生み出し、各地で甚大な被害を与えています。
昨日と今日は、一日中テレビに釘付けになりました。1995年1月17日、阪神・淡路大震災の夜が明けて、テレビ画面に映し出された神戸の街の惨状にただ言葉を失ったことを思い出します。しかし、今回はそれが東日本の各地で、同時多発的に起こっています。津波の被害が広がったことと並んで、この「被害の広域性」が最大の違いでしょう。あのとき以上に、決定的に人手は足りないはずです。
被災地から離れた場所にいて、様々な情報が流れるのを客観的に見られる立場の私たちからでも、まだまだ被害の全容は明らかになったとは言えません。阪神・淡路のときも、それがはっきりするまでには何ヶ月もかかりました。
救援からその後の復興まで考えると、被害の実態を掴むことはもちろん必要なんですが、まずは被災者の皆さんをより多く救出して、なるべく安全な場所で落ち着けるようにしていくことから始めなくてはなりません。現場にいる皆さんは、全力を挙げて取り組んでいるはずです。まだ素人のボランティアが現地に入って活躍できる状況ではなさそうですから、プロフェッショナルの皆さんの活動に期待するしかありません。
私たちから見ていると、なかなか進まない活動、伝えられない情報にもどかしさを感じることも多々あります。特に、福島県内の原子力発電所で起こっている状況は、マスコミの報道による映像などが深刻さを感じさせる一方で、政府の公式発表は後追いのようになってしまい、イライラを募らせます。
しかし、どんな情報でも、適切に分析して発表しないと、役に立つどころか逆に不安を煽るだけのことになってしまいかねません。特に、公式の発表というのは、その影響力も考慮して、慎重を期した取り扱いが求められます。ときには歯切れの悪いものにならざるを得ないときもありますが、隠し事をしていたり、嘘をついたりしているわけではなく、それぞれの立場から、最善と思われる行動を検討した上での結果になっているはずです。
どんな発表に対しても、どうしても不満は出てきてしまいます。しかし、様々な情報が錯綜する中で、それでも誰かが統制を取らなくてはなりません。公式の発表に基づいて、個人個人が落ち着いて適切な行動をしていくのが、パニックに陥らないためにも、少なくともベターな方法だと思います。実は、一番根底にある問題は、政府にそれだけの信頼が置けなくなっている、ここまでの様々な状況なのかも知れません。
11日の夜は、震源地から離れた首都圏でも大変な状況になっていたようです。建造物の倒壊などもあったわけですが、むしろそれ以上に問題になったのは交通機関。特に鉄道がほぼ全て止まってしまったことで、多くの人たちが、帰宅するための足を失ってしまいました。
首都圏からさらに離れた静岡県でも、東海道新幹線、東海道本線を始めほぼ全ての鉄道が運行を見合わせました。毎日東海道本線を使って電車通勤している私にとっては、これは一大事。幸い、地震自体では私たちの職場は被害を受けなかったんですが、このままでは帰宅することはできません。しばらくの間、職場に待機して情報収集に当たりました。
結局は、自動車通勤している同僚の車に相乗りして途中まで乗せてもらい、妻の紫緒に迎えに来てもらった車に乗り継ぐ…という形で、夜9時過ぎには何とか自宅にたどり着くことができました。東海道本線は、翌12日の午後になってようやく運転を再開したようです。判断によっては、まさに「帰宅難民」状態になる可能性もありました。
阪神・淡路大震災の頃からの、もう一つの大きな変化は、情報伝達の手段が劇的に多様化していること。インターネットを基盤にした、豊富な情報量を誇るネットワークを、ひとり1台ベースで持っている携帯電話から利用できます。回線が安定して割り当てられないと使えない音声通話とは違い、インターネットは遅延を許容してでもとりあえず全てのデータを送ろうとします。一時的に大量の情報を処理しなくてはならない災害時には多少有利になるはずです。
もっとも、被災地でこれを利用するためには、無線基地局およびそこからの通信網などインフラが無事利用できる状況であること、そして個々の端末に電源を確保することも必要で、これがなかなか厳しい状況になります。しかし、従来に比べれば圧倒的に情報の受信だけでなく発信にも恵まれた環境が生まれています。
Twitterでは、様々な人たちのメッセージが一つの時間軸上に並べられます。被災地からの書き込みと思われる救助や物資補給の要請、安否情報提供の依頼や、災害時の対応に対する知識、情報も流れています。その雑多さは、思わぬチャンネルから情報を受信できること、より広い範囲に情報を発信できることなどのメリットもありますが、むしろ怖いのはその情報の質が担保されていないデメリットの方です。
実際に、Twitterのタイムライン上には明らかに根拠のない誤った情報、さらにそれを引用した「リツイート」が大量に流れています。本当に重要な情報もあるはずなんですが、それが埋もれてしまう恐れがあります。メディアがどんな形になっても、最終的にそれをどう受け取るかは個人の判断にゆだねられます。生に近い情報だからこそ、取り扱いは難しくなります。
一方、mixiなどのSNSでは、普段からやりとりをしている友人の安否を確認できます。mixiでは、通信が混雑していて日記やつぶやきなどを一切書き込みできない状況だとしても、ログインさえすればその履歴が残る仕様になっています。これを見れば、とりあえず被災地の友人が通信できる状況にあることが確認できるわけです。
繰り返しになりますが、情報が大量に流れてくるようになり、さらには容易に発信できるようになったからこそ、それをどう取り入れて、使っていくのかが重要になります。私自身、常に心に留めていることです。
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