日曜日・7月24日は、演奏会に出掛けてきました。浜松フロイデ合唱団の「NPO法人格取得10周年記念」として開かれた、モーツァルト・レクイエムの演奏会です。例年だと、夏の演奏会は「浜松混声合唱団の定期演奏会」となっているんですが、今年は特別です。
2003年の「市民の第九合唱30周年」の夏には、合唱団はフォーレのレクイエムを歌い、このときには私も初めて今の妻と共に舞台に上がっています。どうして記念演奏会になると死者を見送る曲であるレクイエムを選曲するのか、ちょっと私にはわからないんですが、レクイエムはその性質上、合唱が前面に大きく出てくる大作になりますから、合唱団の記念演奏会としての格好は付くのかも知れません。
地元で同様にNPO法人として活動している浜松フィルハーモニー管弦楽団との共演も、今回のひとつのポイントです。これまで、合唱団ではオーケストラが必要なときには東京、名古屋、大阪などからプロの演奏家たちを招いてきましたが、私は、同じように地元で「音楽の街」を支えている人たちと協力できるなら、その方が良いと思っていました。今回のことがきっかけになって、いつか第九でも楽団、さらにソリストまでみんな「純浜松産」の演奏会ができれば、これも素晴らしいことですよね。
さて、今回のメインの演目であるモーツァルトのレクイエム。音楽に詳しくない方でも、モーツァルトの名前くらいは聞いたことがあるはずです。古典派を代表する作曲家のひとり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの最後の作品とされるのが、このレクイエムです。
彼は死の前日までこの作品に取り組んでいたのだそうで、実は作品は未完成のまま残されてしまいました。その後、彼の弟子によって補作され完成しましたが、弟子が彼の教えに忠実に残りを組み立てたおかげで、ちゃんと「モーツァルトの作品」として認められる出来栄えになったわけです。
先にも触れているとおり、キリスト教の葬儀の式典のために作られたのがレクイエム。8年前に私たちが歌った「フォーレク」は、全編を通じて穏やかな暖かい雰囲気を感じる曲でした。一方、今年の「モツレク」は、厳かな雰囲気の中で静かに祈る歌もありますが、それ以上に前面に出てくるのは激しさのような気がします。キリスト教の世界でも、亡くなった人は神の前で審判を受けるわけですが、どんな風に裁かれるのか、恐れおののいている様子が表現されているのだと思います。
会場のはまホールには、フォーレクとは別の意味であまり葬儀の曲らしくない、エネルギッシュな歌声が響き渡りました。速いパッセージのフーガ形式(複数の旋律が絡み合うようにして進んでいきます)が多用されていることもあってか、団員の皆さんはいつも以上に身体を大きく揺らしながら、力を振り絞って歌っているように見えました。
何人かの団員の方とは、普段からやりとりをしているわけですが、皆さんそれぞれに、この夏の演奏会には熱い思いを持って臨んでいらっしゃいました。この歌をまた歌いたくてずっと合唱を続けてきた方、3月の東日本大震災で被災した方々への思いを持って舞台に登った方、一緒に練習を続けてきたけれど当日の舞台には上がれなくなった仲間のことを思う方…。様々な思いが束になって、私たち聴衆の方に迫ってきたような気がします。音楽の内容以上の様々なものが込められているのを感じた演奏会でした。夏の暑さに負けない、熱い歌声でしたね。
演奏の終わった後、団員の皆さんが舞台裏から出てくるのをしばらく待ちました。皆さん、一様にすがすがしい顔で出てこられたのが印象に残りました。これだけの大曲をたった半年間の練習で形にできた達成感もあったのではないかと思いますが、それ以上に、それぞれの思いを歌に乗せられた充実感がその顔に表れていたのかな?と思います。
何度合唱を聴きに来ても思うのが、自分でもまた歌ってみたい!ということ。今は周囲の環境を考えるとちょっと歌える状態にないな…と思いますが、またチャンスが巡ってくれば、是非参加したいですね。
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