日本プロ野球では、4月に通算2000本安打を達成した横浜DeNAベイスターズのラミレス選手に続いて、今年のゴールデンウィークに2人の選手が立て続けに通算2000本安打超えを果たしました。
5月5日にはラミレス選手のチームメイトである中村紀洋選手が、そして翌6日には中日ドラゴンズの谷繁元信選手が、史上43人目、44人目として名を連ねました。同一チームから同じシーズンに2名以上が達成するのは1987年以来、そして2日連続で達成者が出るのは史上初…ということらしいんですが、それはどうでもいい話。狙って作れる記録ではありませんし、そもそも個人が積み上げていく記録ですからね。しかし、個々の記録を振り返ってみると、それぞれおもしろい事情が隠れていたりします。
中村選手の場合、実は5月1日に「日米通算2000本安打」は達成していたんですよね。彼は2005年にポスティングシステムを使ってアメリカ・メジャーリーグに挑戦しました。この年のシーズンは、開幕直後の1ヶ月間ほどメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースでプレーしましたが、それ以降はマイナーでの試合出場となり、1年で日本球界に戻ってきました。
このときにメジャーで放った5本が、いわゆる名球会入りの基準として参入され、5月1日には名球会入りの資格を得たことになります。しかし、このときには彼自身の意向によってセレモニーなどは行われませんでした。「日本のみでの2000本安打にこだわりたい」ということらしいのですが、それは日本球界への愛着からなのか、メジャー挑戦でパッとしなかった歴史は封印したいからなのか、単にちょっとカッコをつけたかっただけなのか…特に近鉄バファローズ時代には自意識過剰な言動も目立った彼だけに、ちょっと勘ぐってしまうところではあります。
それでも、引退寸前のところを育成選手枠で中日ドラゴンズに拾われて、チームの貴重な戦力となる活躍を見せて半世紀ぶりの日本一に貢献した…なんて経歴もありますし、野球にかける熱いハートを燃やし続けて、ようやくここまでたどり着いた選手であることは確かです。その根性は賞賛に値すると思います。
谷繁選手の2000本安打達成までの道のりをひと言で語るなら、「ゆっくり」という言葉に凝縮されます。プロ25年目での達成は史上最も遅く、42歳4ヶ月は史上最年長、2803試合目も史上最多の試合数をかけての達成ということになるのだそうです。
そして、捕手としては史上3人目の達成であることも大事なポイントの一つです。しかし、2人の先人はあの野村克也氏と古田敦也氏。捕手としてだけでなく、好打者としても歴史に残る選手たちです。一方の谷繁選手は、規定打席到達打者中最低の打率を残しているシーズンも何度かあり、打撃の人というイメージはあまりありません。そんな彼が、捕手としての力を評価されながら、それを一枚看板に25年間も一線で働き続けてきたところに価値があるのだと思います。
ですから、2000本安打はきっと彼にとってはたまたまの通過点。それよりも、私は彼に野村氏が持っているプロ野球記録・3017試合出場を塗り替えてほしいと思っています。来シーズン中には達成できるかも知れない記録。もしかすると、彼自身もそのことはもう意識しているかも知れません。
実はもうひとり、今シーズン中に通算2000本安打で名球会入りの資格を得られそうな選手がいます。メジャーリーグ・シカゴカブスのアルフォンソ・ソリアーノ選手です。彼は、広島東洋カープがドミニカ共和国で開いているカープアカデミーオブベースボール出身で、1997年にはカープの一軍戦に出場して2安打を放っています。
残念ながら年俸交渉で決裂してカープを退団することになった彼ですが、その後、ニューヨークヤンキースを皮切りに順調にメジャーリーグでのキャリアを重ね、昨シーズン末までにメジャーで放った安打数は1897。今シーズンも主力として試合に出場し続けていますから、そのまま行けば今シーズン中には「日米通算2000本安打」を達成できるでしょう。日本人ではなくてもOKで、日本でのキャリアが安打数カウントのスタート…というのが名球会の示している基準。ソリアーノ選手のキャリアも、ちゃんと条件は満たします。
その日がやってきたときに、シカゴまで彼に名球会のブレザーを着せに行こう!という話は、果たして出てくるのでしょうか?…とっても気になる私は、相当意地悪な性格なんでしょうね(笑)。
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