今日は、浜松フロイデ合唱団のベートーベン「第九」演奏会を聴くために、アクトシティ浜松の大ホールに足を運びました。歌わなくなってからもう10年以上になりますが、これがなくては年が越せない…という存在ではあり続けています。
今年の演奏会ポスターには、「ハママツの第九」という文字が大きく記されています。浜松で第九を定期的に(もう40年近くも連続して)演奏し続けているNPO法人としての矜持を示した表現ではもちろんあると思うのですが、今年はもうちょっと別の意味も含んでいたりします。
日本での「第九」の演奏は、1918年6月1日に、徳島県にあった板東俘虜収容所で、ドイツ人の捕虜たちが結成した楽団が行ったのが初めてのことだった(映画化もされています)そうですが、今年はそれからちょうど100年目となります。今年の演奏会は、これを記念して日独交流・相互理解を促進するために行われている「DAIKU2018」記念事業に位置づけられています。「浜松のDAIKU」という意味でもあるわけですね。
同じ「第九」の演奏会でも、聴きに来るたびに違った味わいのモノが聴けるのが楽しみの一つです。その違いの要因の一つは、指揮者と管弦楽団が毎年変わっていくこと。今年は円光寺雅彦氏の指揮で、日本センチュリー交響楽団が演奏しました。第九の演奏にしてはやや小さめの編成は、前回来演した4年前と同じ。そして、息の合った演奏もそのままでした。演奏後に、楽団の各パートにそれぞれ拍手が送られるシーンが印象的でした。
そして、合唱団のメンバーにも毎年入れ替わりがあります。今年は150人ほどの合唱団となりましたが、例年3分の1くらいは新たに参加する人たちだったりします。毎年変わる団員が、毎年変わるプロの演奏家たちとコラボして作っていく演奏が、同じになるはずがありません。
しかし、それでも毎年変わらないのが、実に楽しそうに歌っているのが伝わってくること。今年も、例によって「ちゃんと乗り切れるのか?」とドキドキしたり、「おいおい、大丈夫か?」と焦るシーンがあったり、半分ステージに乗っているような気持ちで聴いてしまったわけですが、そんな一発勝負のライブ感こそが演奏会の魅力です。
演奏会を聴くたびに、また歌ってみたいな…という思いを新たにし続けていますが、いまだに実現はしていません。諸般の事情により、毎週夕刻からの練習に参加するのは現状では難しそうですが、それが永久に固定されると決まったわけでもありませんし、きっとチャンスは来ると思っています。
もうひとつ、妻と娘と3人で一緒に聴きたい!という思いもある訳なのですが、今年は残念ながらふたりは留守番で、私ひとりでの鑑賞となりました。もし私がステージに上がろうとしたら、一緒に聴くことはかなわないわけで…演奏会から帰ってくるたびに、悩みが深まってしまうここ数年の私です。
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