(Cover Photo from photo-ac.com)
9月5日にパラリンピックが閉会式を迎え、東京のあまりにも熱かった1年遅れの夏は、これでひと区切りとなりました。
オリンピックが始まる前に、前例のない特殊な状況で開催されるこの一大イベントに対する思いを綴ってみたところです。どこかで、そこで自らに投げかけた問いへの答えを考えてみるつもりだったのですが、オリンピックが終わったタイミングでは、まだそれは早すぎるような気がしました。そして、ようやくその時がやって来たような気がしています。
日の丸を背負った選手たちは、観客の声援を直接は受けられなかったものの、地元で大活躍。オリンピックで58個(金27銀14銅17)、パラリンピックで51個(金13銀15銅23)と、数多くのメダルを獲得しました。メダルラッシュは国民の間に熱狂を引き起こし、私も競技の結果を報道で見聞きするのが楽しみな日々を過ごしました。
6月まではオリンピックの開催に疑問を呈す論調が目立っていたマスコミが、手のひらを返したように盛り上がっていました。もちろん、競技に全てを賭けて臨む選手たちの姿を伝えていただくことは、彼らの重要な役割です。そして、そこで伝えられる真剣勝負が、巷の共感を誘わないはずがありません。「スポーツのみが残ったオリンピック大会は、なお魅力を持ち続けるのか?」という問いには、「もちろん、ある」という答えしかあり得ませんでした。とはいえ、私はライブ中継はほとんど観られなかったんですけどね。平日昼間は、仕事です(涙)。
しかし、それにしてもなぜ今、こんなコロナ禍の中で、非常事態宣言下の東京で大規模な国際スポーツ大会を開くのか?という問いは残ります。その是非そのものはココで論ずるべきものではないと思っていますが、「なぜ」に答える大会が掲げようとしているテーマは、競技とは別のところで示されるものです。それが端的に見えてくるのが、開会式と閉会式である…ということになると思うのですが、それを観たときの感想は、何とも複雑なものでした。
巷では、オリンピックの開会式・閉会式の評価が散々だった一方で、パラリンピックの開会式・閉会式の評価はそれほどヒドくはなかったようです。私は生中継ではオリンピックの開会式しか見られず、他は後から録画を観ることになりました。
パラリンピックの開会式には「デコトラの荷台からHOTEIのアニキ(布袋寅泰)が登場してギターをかき鳴らす」というビッグサプライズがありました。言葉で聞くだけで、この上なくワクワクしませんか?ライブでは見られなかった私は、その強烈なキーワードに釣られて、見たくて仕方なくなりました。
そのインパクト抜群のシーンはもちろん楽しませてもらったのですが、それだけに留まる話ではなく、確かにパラリンピックの開会式・閉会式の方が、観ていて伝わってくることが明確だったような気がしました。直前で演出を入れ替え、急ごしらえで作らざるを得なかったであろうオリンピックの式典に比べれば、そんなゴタゴタには見舞われず、じっくり取り組めたパラリンピックの方が仕上がっているのは当たり前…ということなのかも知れません。もしかすると、主催者挨拶のプレゼン能力の差(長すぎるのは嫌われますよね)だけの話なのかも知れません。しかし、それだけではないような気がしていました。
今回、TOKYO2020の両大会が掲げていたテーマが「多様性と調和」。人種や性別、言語、宗教、障害の有無など、様々な違いを互いに認め合い、一緒に進んでいくことを志向していたわけですが、オリンピック関連で噴出した数々のスキャンダルが、このテーマに真っ向から反する事象ばかりだったことは、なんともお粗末でした。それはすなわち、まだこのテーマが広く受け入れられる土壌が整っていない…ということなのかも知れません…少なくともこの国では。
しかし、多様性の受容は、実はパラリンピックでは半世紀以上もずっとテーマとして掲げてきたもの。その多様性が示す方向性はそれぞれ別ではありますが、オリンピックでは今回のために一生懸命アピールしなくてはならなかったテーマは、パラリンピックにとってはもともといちばん根底に流れていたものです。だからこそ、パラリンピックの方が地に足を付けて、芯がブレない主張を届けられたのではないか、と感じました。
一方、そのメッセージを受け取る側の私たちも変わってきたのだと思います。熾烈な競争が各所にひずみを生んでいることが明らかになってきた上に、競争どころではない状況に追い込まれてしまった今。そんな現状では、「より速く、より高く、より強く」で進んできたオリンピックの思想より、「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」)「もともと特別なOnly one」(槇原敬之「世界に一つだけの花」)あたりにも通ずるパラリンピックの思想の方が、しっくりハマるのかも知れません。
今回のTOKYO 2020では、まずオリンピック大会が開催され、その後でパラリンピック大会が開催される…という形になっているわけですが、このように両大会が同じ開催地で行われることがシステムとして確立したのは、1988年のソウル大会以降のことだそうです。そもそも、「パラリンピック」という名称が正式になったのもソウル大会からで、国際パラリンピック委員会(IPC)が発足したのは翌1989年。100年以上の歴史を持つ近代オリンピックと比べれば、かなり最近の出来事です。
パラリンピックの起源は、イギリスの病院で第二次世界大戦後に兵士のリハビリとして取り組まれていた、車椅子使用者によるアーチェリーの試合に遡るのだそうです。そこから、より多くの国や地域から、様々な障害を持つ選手たちが参加するようになり、オリンピックに並ぶような大会にして行こう!と進んできた先に今があります。オリンピックから生まれたものでも、オリンピックの中にあるものでもなかったわけですから、別の思想が流れているのも当然です。
ちなみに、東京では1964年にもオリンピックの後にパラリンピックが開催されていて、二度目のパラリンピックを開く都市は史上初…とされています。ただ、当時は正式な名称ではなくて、この大会の開催に際して「Paraplegia(対まひ者)」+「Olympic」で「Paralympic」…として作られた愛称だったのだそうです。そうした意味では、日本がパラリンピックの生みの親…ともいえますね。今では、Paraは「Parallel(この場合「もうひとつの」という感じでしょうか)」の意味に読み替えられています。
今回のオリンピック直前の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、「より速く、より高く、より強く」 の後ろに「一緒に (Together) 」という言葉が付け加えられることが決まりました。近代オリンピックが始まったときにクーベルタン男爵が提唱して以来、語句に見直しが入ったのは初めてだそうです。TOKYO 2020が掲げた「多様性と調和」にIOCが寄り添ったとも見えますし、オリンピックの思想がパラリンピックに歩み寄った…と見ても良いのかも知れません。
世界人口の15%にあたる約12億人が、何らかの障害を抱えて暮らしていると言われているそうです。こうして数字にしてみると、実は結構大きな割合を占めている…と感じませんか?
今回のパラリンピック開催に合わせて、彼ら障がい者は特殊な存在ではなく、人類の多様性の一部であり、偏見や差別を取り除き、共に生きていくのだ…とする、「WeThe15」 と題したキャンペーンが始まりました。パラリンピックの開会式・閉会式でも大きく取り上げられています。IPCのパーソンズ会長が熱く語っていたのが印象的です。
今回、選手村には最初からスロープや手摺りなどがしっかりと整備されていて、オリンピック終了後、パラリンピックを迎える際に改装工事などは行わなかったのだそうです。そうしておくことで、誰にでも使いやすいものになる…というのがいわゆる「ユニバーサルデザイン」。同じような考え方で、誰もが暮らしやすい社会にしていくことを「ソーシャルインクルージョン」と呼ぶのですが、WeThe15はまさにソーシャルインクルージョンへの取り組みということになります。
何だかカタカナだらけですが、日本語ですんなり訳せる言葉がない…というところが、まさに弱いところ。実は国の施策のひとつである「一億総活躍社会」にも、これに通ずる部分が含まれているはずなのですが、どうもあのフレーズからはそれが伝わってきません。
とはいえ、10年間かけて取り組むのだ!とするWeThe15が、二度目のパラリンピック大会を迎えた東京からスタートすることには、大きな意味があると思います。コロナ禍で世の中の空気が殺伐として忘れられそうな、「みんなで一緒に生きていく」という思いがつながっていくきっかけになるのなら、それがTOKYO 2020の遺産になるのなら、開催した意味はあるのではないでしょうか。
そして、30年ほど続いてきた、オリンピックの脇にパラリンピックが並んで走ってきた形が、これからは変わっていきそうな予感もしています。どう変わっていくのかは、まだ見当も付きませんけどね。その転換点になったのが2021年のTOKYO 2020だった…と言われることになるのではないか、と思っています。
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