23日に誕生日を迎えて、またひとつトシを取りました。今さら誕生日をめでたがるような年齢でもありませんが、また1年を生き延びられたことに感謝する日ではあるべきだと思っています。
とはいえ、年々、生きていることが本当に幸せなのだろうか?という疑問が強まりつつあります。私自身にも、身の回りにも、社会でも、何をするにも「辛いなぁ」と思う場面が増えています。とはいえ、立ち止まって考えている暇もありません。何もしなくても、明日はやって来ます。日々是前進あるのみ、です。
というわけで(?)、私の場合は週末になると庭仕事に追い立てられるのが日常なのですが、5月というのは庭仕事にとっては実に貴重です。上旬の大型連休中に立夏を迎えるまでは、土いじりが事実上封印されます。そして、6月になれば梅雨の気配が忍び寄ってきて、雨がちの天気になり、外での作業が難しくなってきます。早ければ台風だってやって来ます。梅雨入り前に、できる限り作業を進めておきたいところです。
低いところの枝だけ切り落としてそのままになっていた店先のシマトネリコは、先週末にようやく剪定を済ませることができました。これ以上伸びてしまうと、自分ひとりでは手に負えなくなってしまいますからね。これで、安心して夏を迎えることができそうです。
このシマトネリコの剪定は、本来は離れの屋根に載せてある太陽光発電のパネルが日陰にならないようにするのが重要な目的。高さがだいたい決まっていますから、伸びた分だけ切り落とす形になります。これなら、あまり考えなくても樹形はだいたい整ってきますし、枝もそれ程太くなっていませんから、普通の剪定鋏で十分切れます。とはいえ、2mの脚立の上に登って行う作業は緊張感があります。何年経っても慣れません。
2年ぶりに、木の上に鳥の巣らしきものが載っているのを見つけました。前回は全て落としてしまった後で「ちょっとかわいそうなことをしたかな」と後悔があったので、今回はそのまま置いておきました。それでも、一度私が触ってしまったので、ココの家主はもう警戒して寄ってこないかも知れませんけどね。上の枝を少し切らざるを得なかったので、身を隠すにも都合が悪くなったかも。
枝には、去年羽化したセミの抜け殻がいくつか付いたままで残っていました。7月の梅雨明けあたりには、ここはまたセミたちの住処になることでしょう。奴らの合唱が始まるとかなり騒々しいので、楽しみ…とはちょっと言いがたいところですが、季節の移り変わりを自然に楽しめるのは悪いことではありません。
シマトネリコを剪定するといつもタイヘンなのが、切った枝の後片付け。とはいえ、紐で束ねればみどりのリサイクルに持って行けるので、とりあえずひと束分くらいごとに山にしておきました。
またちょっと早起きして縛ろうかな…と思っていたのですが、週明けに仕事から帰宅したら、半分くらいはゴミ袋の中に入っていました。お義父さんが、長い枝は刻んで袋に入れてくれたようです。自分から「自分で縛って持っていくから」と伝えておいたつもりだったのですが、忘れちゃうのかなぁ…まあ、誰でもいずれはトシを取るわけですし、良かれと思ってやってくれたことですから、文句は言いません。有料のゴミ袋代はちょっと出費が増えますが、代わりに仕事を半日休んで清掃センターに搬入する必要はなくなったわけですし。
お義父さんには、思うところはグッと飲み込んで、「ありがとう」と伝えた後で、残りも袋に詰めるようお願いしておきました。翌日の夕方には、もう5つの袋が出来上がっていました。何回かに分けて、燃えるゴミの日に出すことにしましょう。
梅雨入り前に…といえば、例年この時期に1回は行っていた薪割り会が、今年はメンバーの皆さんの都合などもあり開催できていません。薪小屋を整理して、新しい薪を積めるようにスペースを作っているのですが、ちょっと間に合っていないところ。来シーズン分はこの在庫で何とかなりそうな気がしますが、その次を考えると不安です。
梅雨に入ると木材の中に虫が入ったり、腐ったり…という悪影響も考えられるので、なるべく早く済ませたいですね。共同購入する新しい薪割り機のお披露目も兼ねて、また集まりたいところです。
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