ここ数年、仕事の関係で浜松市天竜区水窪町の方々とご一緒する機会が結構あります。水窪(みさくぼ)は浜松市のいちばん北に位置する町で、愛知県と長野県に接し、浜松の中心部からクルマで向かうと2時間以上はかかります。まあ、道中で新緑や紅葉を愛でながらのドライブが楽しめるのは、役得とも言えるわけですが。
単に仕事して帰るだけではなくて、いろいろな雑談もしてくるわけですが、今、水窪の方々との間でいちばんホットな話題の一つが三遠南信自動車道です。昨年青崩峠のトンネルが貫通して以来、皆さんにとっては希望の星となっているようですね。
2005年に広域合併して「浜松市」となった12市町村のうち、旧水窪町は唯一、現在でも浜松市街までセンターラインのある道路がつながっていない町です。1車線区間では、すれ違えるポイントを把握しておかないとタイヘンなことになります。愛知県や長野県に向かう道路も、曲がりくねった細い道だけ。「ほぼ陸の孤島」と言ってもオーバーではないかも知れません。下田に住んでいる頃には、地元の皆さんの伊豆縦貫道への期待の大きさを「自分ごと」として肌で感じたわけですが、水窪の皆さんの三遠南信道への期待はそれ以上かも知れません。
国土交通省中部地方整備局飯田国道事務所の月次報告によると、青崩峠道路の工事は、10月末の時点で、トンネルを掘り抜いた岩盤の壁をコンクリートで覆う「覆工」が、全長4,998 m中4,991 m完了しているそうです。トンネルの形としては、ほぼ完成と言って良さそうですね。もっとも、照明や標識を付けたり、路面を舗装したり…と、まだいろいろ必要な作業は残っています。
今年6月に、ちょうど青崩峠トンネル(仮称)の静岡県側坑口前を通る機会がありました。ただぽっかりと穴が空いているだけなのですが、「この穴が長野県まで続いているのか」という感慨は、水窪に住んでいない私でも共有することができたのではないかな、と思います。
水窪市街から青崩峠道路までの間は、専用の高規格道路を建設するのではなく、国道152号線を改良して、快適に走れるアクセス道路として整備します。こちらの工事も、かなり進んできています。元々ある道路を拡幅したり、カーブを緩やかにしたりするだけでなく、場所によっては川の対岸に新しい道路を作って、橋を架けていたりもします。
浜松市の道路整備プログラムによると、この「現道改良」の整備は平成38(=令和8:2026)年度に完了することになっています。青崩峠道路の完成と足並みがほぼ揃いそうです。
長野県側でも、最後の断絶区間となっている飯喬道路の工事がかなり進んでいて、数年後には水窪市街から飯田市街までが快適に走れる三遠南信道で直結する…という状況が生まれそうです。そうなると、水窪市街から飯田市街までの所要時間は1時間を切ってくるはずです。救急搬送も、ドクターヘリが確保できなくても第3次救急医療施設である飯田市立病院まで運べるようになります。
さらに、飯田市にはリニア中央新幹線の長野県駅が建設される予定もあります。そうなれば、首都圏や中京圏、さらに遠くに出掛けたいときでも、浜松ではなく飯田に出た方がずっと早い…という環境が出来上がります。
一方で、現在佐久間市街のすぐ手前まで延伸されている三遠南信道を水窪市街まで直結する「水窪佐久間道路」は、平成31(2019)年にようやく事業化されたばかりです。これが開通すれば、浜松市街までのアクセスは改善するのですが、開通するまでにはまだ10年単位の時間がかかるでしょう。しかも、完成した暁でもなお、水窪にとっては飯田の方が近い…ということになりそうです。
先日、雑談の中で水窪在住のある方が「いっそ長野県になっちゃった方がイイかもね」と言っていました。その時はお互い冗談のつもりだったのですが、改めて冷静に考えてみると、ソレって意外にアリなのでは?と思ったりもします。
2005年には、当時の長野県木曽郡山口村(中山道馬籠宿のあったところですね)が、岐阜県中津川市と合併した「越県合併」の例もあります。この例でも、長野県側に出るより岐阜県側に出る方が便利だった…という、交通アクセスの事情が大きかったようです。
既に浜松市の一部になっている水窪町がアクションを起こすのは大変なのかもしれないのですが、浜松市が内心で「水窪はこちらから行くのが不便だし、この際飯田市にオマカセしちゃった方が楽かも」と考えていたりすれば、案外実現に転がるかも知れません。…そのあたり、どうなんだろうなぁ。個人的には、それでは水窪の皆さんが今までよりちょっと遠い存在になってしまうようで、寂しいのですが。
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