今日は、愛車・三菱デリカD:5を初めて自分の手で洗いました。パールホワイトのボディは、雨で埃などの汚れが流れた跡が結構目立つんですが、なかなか洗えず、とても気になっていたんです。
購入してからもうすぐ1年になりますが、車を洗ったのは6ヶ月点検でディーラーに持ち込んだときだけでした。特に、集合住宅に住んでいると自宅で洗うのが難しくなります。ガソリンスタンドなどの洗車機で洗えばすぐに終わるのでしょうけど、どうしても自分で洗ってあげたかったんですよね。そう思っている間に汚くなってしまったのでは本末転倒なんですが。
今日は共有の水道を使わせてもらったので、水を無駄遣いするのは申し訳ありません。流水をかけるのは最低限にして、バケツに溜めた水でクロスを濡らし、汚れを拭き取った後で洗い流す…という方法にしました。もともと、購入したときに「グラスボディコーティング」という表面皮膜処理をしてあるので、これだけでもかなり綺麗になってくれます。
「赤ちゃんが乗ってます」のマグネットシートを剥がしてみると、車がどのくらい汚れたのかがよくわかります。色の違いを見比べて、もう笑っちゃうしかありませんでしたね。こんなに汚れてしまうまで放っておいてはいけません。
昔から、車は結構こまめに洗っている方だったと思います。ネコや鳥など、ボディーを汚してくれる敵が多かった…ということもありますが、それだけではなく「車はいつでも綺麗にしておきたい」という思いが強かったんです。
車で外出したとき、車の外見は私自身の外見よりも先に周囲の人々の目に触れることになります。特に初対面の印象では、外見でいろいろな評価をせざるを得ないわけですが、こうした意味で、車を綺麗にしておくことは服装や髪型などの身だしなみを整えることと同じように大事なことです。
また、これは人によって感覚が違うのかも知れませんが、車には自分以外の人を乗せる機会が結構あるものです。特に私のように大人数が乗れる車を持っている場合、お客様を迎え入れる室内空間としては、車の室内は自宅の客間以上に使用頻度が高いものになり得ます。「おもてなし」のスペースとして、常に綺麗にしておきたいと考えるわけです。
しかし、そんな理屈は抜きにした感情の問題が一番大きいんですよね。先に「洗ってあげたい」と擬人化された表現をしているわけですが、そもそも「愛車」という単語に象徴されるように、車に対して抱く思いには、家族やペットなどに対する思いと似たようなものがあります。
以前、「車を見るとわかること」という題で、どんな車に乗っているかでオーナーの人となりがわかる…という話を書いたことがあります。これは車種の話だけではなく、どのように手入れされているかでも言える話のような気がします。
「車の扱いを見ていれば彼女の扱いがわかる」という話を聞いたことがありますが、これはなかなか言い得て妙だと思います…これが実際に私にも当てはまるのかどうかは、周囲の皆さんの判断を仰がなくてはなりませんが。ただ、「彼女の扱いが…」という話はあっても、「彼氏の扱いが…」という話にはならないんですよね。車に対するこの種の思い入れは、どうも男性に多く見られることのようです。
普段から、ついつい紫緒には車の使い方で「室内が片付いていない」「シートに汚れが付いたままだ」「ゴミが落ちている」などと小言を言ってしまいます。彼女が特別汚い使い方をしているわけではないはずですし、娘を乗せながらだとどうしてもそこまで気を回す余裕がなくなってしまうのでしょうけど、そもそも車に対する感情が違うのかも知れません。そういえば、彼女は最初はデリカに乗るのは嫌だったんですよね。私と同じ気持ちを持ってもらえないのは仕方ないのかも。
振り返ってみると、結婚してからは車を以前ほど丁寧に洗わなくなってしまったような気がします。どうしてなんでしょう?。いろいろな事情で説明はできるのですが、家族が増えたので、その分車に注ぐ愛情は相対的に減ったのかも…と思ったりもします。
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