2020年、最後の日曜日です。毎年、今回はこの1年のSSK Worldを振り返らなくてはならない…という、ある種使命感のようなものを背負って書き始めるわけですが、なかなかすんなりと筆は進まないものです。
ここ数年は、庭いじりがメインテーマとなっていることが多いのですが、今年も前半は昨年からの続きで庭の倉庫づくり、その次は倉庫の隣に薪小屋新1号館を建てて、その上を渡れるようにして…と進んできました。しかし、その後は急減速。庭の駐車場で花壇をリニューアルするという仕事はしましたが、当初の構想にあった倉庫屋上のデッキは、結局作らずに年を越すことになります。
どんな風に作るか考えて図面を引き、材料の確認までしていたのですが、そのデッキの上で観て楽しみたかった花火大会が中止になってしまい、一気にモチベーションが下がってしまったんですよね。来年以降がどうなるかもハッキリしない状況で、デッキを実際に作るかどうかも、まだ決めかねています。
花火大会が中止になった理由の確認まではしませんでしたが、新型コロナウイルス感染症の影響はもちろんあったはずです。2020年を語る上で、「コロナ禍」は外すことができないキーワードになりました。
実は、我が家では4月に娘が、そして5月には妻が、39度C以上の発熱と咳の症状で数週間の休みを余儀なくされました。どちらも一時は総合病院の救急外来のお世話になるほどの状況で、肺炎の診断を受けました。
当時の浜松市では、まだ市中感染の事例が見つかっていなかったこともあり、「感染拡大地域の人との接触がない」と判断され、PCR検査は行われませんでした。救急でのX線撮影の結果肺炎が見つかっても、「新型コロナウイルスの症状とは違う」と言われ、ふたりとも自宅療養となりました。
しかし、インフルエンザウイルス検査は陰性でしたし、普通なら他の風邪でこんな酷い症状になることはそうそうないわけですし、そもそも風邪がそれ程流行する時期でもありません。今振り返ってみると、やっぱりあれは新型コロナウイルスの仕業だったのではないか?と私は思っています。
私は幸い発熱などの症状はありませんでしたが、それでも家族感染の可能性も念頭に、ドキドキしながら動いていました。職場に対しては、4月から緊急措置で導入された在宅勤務を積極的に活用する方向で、防衛策を採りました。
もともとリモートワークに積極的でなかった職場ですが、今回の件では、自前のPCでの在宅勤務を認めるなど、相当前のめりに動きました。聞くところによると、春からは個人配備のパソコンを順次モバイル機に切り替えていき、積極的にリモートワークできる環境を整えるようです。以前はインターネット利用すらままならなかったのに、変われば変わるものだ…と驚いています。
去年までは、仕事で東京に行く機会がずいぶん多かったのですが、今年は2月後半あたりから各地での会議が中止になり始めて以降、県外への出張は一度もありませんでした。その代わりに、ZoomやMicrosoft Teamsなどを使ったオンライン会議の開催はすっかり当たり前になりましたね。東京をはじめとして県外にいる方々との「対面」での打合せ回数自体は、逆に増えました。
リモートワーク、オンライン会議のような情報通信技術の活用は、わかっている人の間では進みつつあったものの、コロナ禍が技術の普及のきっかけになった面は確実にあります。遠くに出掛けることが難しくなり制約が増えたというよりも、やり方自体が変わって新しくできることが増えた…という、かなり前向きなイメージで捉えています。
しかし、新型コロナウイルスの猛威は、今年のうちに収まることはなかったどころか、最近は変異種なるものも登場し、さらに状況は混迷の度を増している印象があります。ときどき、今の状況は人類が滅亡に向かっていく過程を見ているのでは?なんて考えてしまうこともあります。
とはいえ、座して死を待つのみ…というのでは面白くないわけで、できる限りの取り組みで身を守りながら、そして時代が変わっていくのに立ち会っている実感を味わいながら、日々を暮らしていきたいと思っています。
後の世の人々が、2020年を重要な時代の転換点として記すことは間違いないでしょう。ただし、記される中身がどうなるかはまだわかりません。禍転じて福と成す…と行けるのかどうか。それを決めるのは、2020年を、そして2021年以降を生きる私たちひとりひとりです。
…と、そんなクサい台詞を臆面もなく吐き出しながら、私は日々を好き勝手に楽しもうと思います。皆様と共に、よい年が迎えられますように。
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