今日は、浜松混声合唱団の演奏会でした。私が、この「浜混」の一員としてステージに立つのは今回で3度目になりますが、演奏会前に感じる不安は、年々大きくなり続けています。今回も、正直なところ不安だらけで、逃げ出したいほどでした。終わってみれば、いろいろとハプニングもあったものの、何とか無事に終わっているわけですが。
経験を積んでいけば不安は解消されていくはずじゃないの?と思われる方もあるかと思いますが、全然逆ですね。アクトシティ浜松・中ホールという本格的な音楽ホールで、1,000人以上のお客さんから入場料をいただいて、演奏を聴いていただく…考えれば考えるほど大変なことです。演奏そのものはもちろんいい加減にできませんし、お客様にも失礼があってはいけません。
今年の演奏会には、一つ新しい試みがありました。それは、「全席自由席」という座席設定。アマチュアの演奏会では、全席自由席はごくごく当たり前で、私自身もそういうコンサートには何度か足を運びましたが、これまでの私たちはちょっと変わった方法をとってきました。
それは、私たちが「当日座席指定」と呼んでいるもの。チケットを持って来場したお客さんは、これを順番に「座席指定券」と交換して入場します。座席指定券は、「おそらくここが聞きやすいだろう」と思われる、1階席の中央付近から端や2階席に向かって順番に発行するように決めてあり、お客さんの行列に合わせてどんどん交換していきます。
一見合理的にも見えるわけですが、この方法には決定的な問題が一つあります。それは、お客さんが座る座席を全然選べないこと。指定席ではチケットを買うときに、自由席では会場に入ったときに…とタイミングは違いますが、どちらの場合にもお客さんには座る場所に自分の意志を反映させる機会があります。ところが、当日座席指定はそうではありません。行列のどの辺りに並ぶことになったかで、座席は主催者側に決められてしまいます。
コンサートホールの中には、例えばバルコニー席のように、一般的な人気ではやや劣るものの、通好みの場所…というものも存在します。本当に演奏会を楽しもうとしてくれる方々が、こうした場所を選んで座れないのはもったいないことのような気もします。
当日座席指定には、一緒に演奏会を聴きたくてチケットを買った人たちが、会場に全員分のチケットが揃うまで入場できないという問題点もあります。誰か一人がまとめてチケットを持っていたとしても、その人が遅刻してしまったとしたら…目も当てられません。いろいろと話し合って決められた全席自由席ですが、お客さんのことを考えた選択だと言えると思います。
しかし、全席自由席にしたことは、別の心配を生み出しました。それは、座席の利用効率が悪くなること。全席自由席になっている催し物では、人々は隣との間に隙間を空けて座りたがります。この隙間が後から来た人たちに埋められていくわけですが、どうしても限界があります。1人分しかない隙間に二人連れは座れませんからね。
こうして、客席は所々に空席のある虫食い状態になります。それも、本来なら特等席である1階席のど真ん中に、意外に空席ができてしまったりします。特に、ここ数年の演奏会では座席はほとんど満席、立ち見の人まで出る…という状態でしたから、虫食いだらけなのに立ち見しなくてはならない…という状況は避けたいところです。まあ、それ以前に座席数よりも多く発券しなければ立ち見は出ないはずなんですが。あまりにも「満席」にこだわりすぎなのかも知れません。
その点、当日座席指定なら、中央から順番に座席を割り当ててしまいますから、こうした事態は起こりえません。さらに言うなら、満席になるまで発券し続ければ、完全に満員にすることも不可能ではありません。これは、全席指定でも(チケットを買っていても当日に来られない事態はどうしてもあり得るわけで)全席自由でも非常に困難なことです。おそらく、「当日座席指定」とはこうした面を考慮した発券方法だったのでしょう。しかし、主催者側の都合を考えたシステムであることは間違いありません。
全席自由席でも座席の利用効率を上げるには、最初から間を詰めて座ってもらえるようにお願いするしかありません。演奏会の会場スタッフは、座席指定券を引き替えるメンバーを減らすことができましたが、代わりに客席の整理係を増やしています。結果的に、全席自由席にした方が必要なスタッフの総数は増えてしまいます。自由にするからといって、必ずしも楽になるわけではありません。
演奏会の自由席に限らず、多くの人たちに自由を認める場合には、単に野放しにするわけではありません。ある一定の範囲の中では自由である…という枠組みを決めます。それを「全然自由じゃないじゃないか」と言う方もあるかも知れませんが、人は誰でも一人だけで生きられるわけではありませんから、こうした「縛り」が起きるのは仕方ないところがあります。
裏を返すと、いくら「自由だ」とはいえ、その中で動く人たちには、他の人たちの立場を考え、思いやる気持ちが必要です。言うのは簡単ですが、実際にはそれを与える側と受ける側、双方の微妙なバランスの上に初めて成立するもの…それが「自由」というもののような気がします。
今日の演奏会の観客席は、ほとんど虫食いもなく綺麗に埋まっていました。整理係の人たちが上手く誘導してくれたのでしょうし、お客さんたちもそれにきちんと従って座ってくれたのでしょう。大人の皆さんの自由席です。もっとも、今年もほぼ満席で立ち見の方が出てしまうくらいでしたから、座席を空けておくことは周囲の視線が許さなかった…ということもあるのでしょうけどね。
今日行われた浜松混声合唱団の演奏会。…まあ、いろいろあったんですが、何とか無事に終わることができました。Weeklyのテーマとしては、ステージの内容ではなく運営面の新しい取り組みだった「全席自由席」を取り上げています。
楽屋から、観客席がどんな風に埋まっていくのかモニターで見ていました。1階席の中心から埋まっていく…というのは予想通りでしたが、思っていたよりも前の方に座る人が多かったような気がします。団員の口コミで売られるチケットが多いので、良い演奏が聴けることよりも、ステージがよく見えることを優先した場所取りが行われているのかな?と思いました。また、2階席前方やバルコニー席にも、比較的早い段階から人影を見かけました。「通」の方々の要望にも応えられたようです。
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