昨日、8月26日にプレイステーション用ゲームソフト「ドラゴンクエストVII」が発売されたようですね。昨日はそれとは別の用事で電気屋に出かけたんですが、さすがに一時期のように徹夜で並んで購入するような光景は見られないようです。昔ほどの熱狂は収まったのかな?と言う気もしますが、最近は予約しておけば近所のコンビニで楽に入手できるご時世ですから、そんなに血眼になることもない…という事もあると思います。
ドラゴンクエストと言えば、中学生くらいの頃に親に叱られるのも構わず長時間遊んだ思い出深いシリーズですが、これで第7弾なんですね。ずいぶん長く続いたものです。さすがに今となっては購入してプレイしようとは思いませんね。昔と今で何が変わったのか?…「歳をとってしまった」と言えばそれまでなんでしょうけど、その根底にあるものが何なのかはわかりません。
「ドラゴンクエスト」に限らず、ゲームや映画にはタイトルの後ろに数字をぶら下げた「続編もの」が数多く存在します(そんなに安易な名前を付けていないものもありますが、続編であることは同じですよね)。ある作品が大ヒットすると、同じ名前を持つ第2弾が登場する…というのは良くあるパターンです。アクションゲームやパズルゲームでは新しいシステムが取り入れられ、RPGやアドベンチャーゲーム、そして映画では前回と繋がりのあるストーリーが展開されます。
中には変わり種もいて、例えば大ヒットしているRPG「ファイナルファンタジー」の場合には、初作と第2弾の間には全く話の繋がりはありません。引き継いでいるのはアイテムや魔法の名前、そして「ファイナルファンタジー」というタイトルくらいなものです。その後このシリーズは第9弾まで続いているんですが、中身は見事にバラバラ。これだけ関連性の薄いシリーズものも珍しいと思います。
2作目を作る人たちの考えもいろいろあるんでしょうけど、一番大きいのは大ヒットした1作目にあやかりたいと言うことではないかな?と思います。映画「スターウォーズ」のように最初から大量のシナリオが構成されている(最初から続編を作るのが前提のシナリオ)ものもあったりして、全部が全部単なる「二匹目のドジョウ」狙いとは限らないんですが。
ゲームも映画も芸術作品としての面があって、制作者の表現したいものを作るのが最良だとは思うんですが、どちらも制作費がかさむこともあり、やっぱり売れなくては話になりません。続編ものは、作品を売るための手段としては優秀かも知れませんが、表現の面では大きな制約を課せられます。作るのは意外に難しいんでしょうね。その点、先の「ファイナルファンタジー」の方法はなかなか上手いんですが。
2作目が売れると、3作目、4作目…と延々と続編ものが登場する流れになりますね。こうした続編を見てときどき思うのは、シリーズ全体を見ると出来の良いのは最初の2、3作というのが多いんじゃないかな?と言うこと。さすがに第3弾が大ヒットすると、その後は「続編」であると言うだけでもそれなりにはヒットするようになります。作品を作る人たちが手抜きをしていると言うことではありませんが、どうしても名前の存在感が大きくなりすぎて、それに負けてしまうこともあるんですよね。そうなってしまうと、名作の名前を背負っているのは逆にかわいそうになります。逆に言うと、続編が出るたびに評価の上がる作品は、制作者の皆さんが並々ならぬ努力をしているからこその成果ではないでしょうか。
ところで、最近Windows用のゲーム「イースIIエターナル」を買ってきてプレイしています(SSK Specialでも関連した話題を採り上げていますが)。これは「ドラゴンクエスト」と同じ頃に流行ったゲームのリメイク版ですね。一応全部作らなくてはならない続編と違い、元々あるものを作り直すだけのリメイクは安易だと思っていたんですが、実はそんなことはないんですね。ただの作り直しではなく、今どきのゲームらしいゲームにちゃんと「化けて」います。しかも昔からのファンのノスタルジーも忘れていないようです。なかなか良くできています。
ただ、問題なのは私自身テンキーやジョイスティックでキャラクターを操作するアクションゲームは昔から苦手だった…ということですね。まあ、こればかりは鍛錬あるのみ。のんびりとやりますよ。
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